田舎生活、文学愛好者の、心おもむくままの気まぐれな日誌。
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鏡に映る景色いろいろ(7)最終回

鏡に映る景色いろいろ

    7

 回転寿司○○店に夕方五時に着くと、ちょうど〝おばあちゃん一行が先に着いて車をとめて、店内に入っていくところだった。
 おばあちゃん、長男のフミヤ、嫁のアヤカさん、その息子たち、ヒロト君とスミト君、大阪に住むハルミ、その子のキララちゃんとヒデキ君。
 休日の夕食時のこと、客が多く、予約しなければならず、時間待ちした結果、二つの席に別れる。人数の加減から長男一家は別のコーナー、ハルミたち一家はおじいちゃん、おばあちゃんといっしょのコーナーになった。
 この夕は、昼間の活動でみんな疲れたのか、子どもたちはいつもより何となく不活発な印象だった。そんな中でも目に付いたのはキララちゃんのおかしさだった。
 母親のハルミが「キララはエビが好き」といったので、それを聞いたおばあちゃんが、エビのにぎり寿司をとってキララちゃんの前に置いた。
「キララちゃん、エビたべる?」
 キララちゃんは丸い目を丸くしていった。
「エビはこわい……」
 それをきいて大人たちは笑った。
「エビこわいの? 好きといっていたのに」
 食事を終えて帰りしなに、おばあちゃんがレジで支払いするあいだ、他のおとなたちと子どもたちは、店の入り口に設置されている大きな水槽のなかの魚を見ていた。魚は大小五匹ほどいて、深海魚のように珍しい生態を見せながら、目の前に出没しては遠ざかるのである。子どもらはみないっせいに興味津々で水槽に目を向けている。
 横にいた小さなヒデキ君が「わあ!」と声をあげた。
 その様子を見ておじいちゃんが言った。
「これなあに?」
〝何というお魚かわかるかな?〟と、幼いヒデキ君に向けて問いかけたのだった。すぐ横にいた姉のキララちゃんがその問いを引き受けて、
「これはおさかなよ、おじいちゃん」と答えてくれた。「わかった? おじいちゃん、これはおさかなっていうのよ!」
 そんなキララちゃんを見て、おとなたちは大いに笑った。  (了)

     

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# by mozar | 2018-01-01 22:09 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(6)

鏡に映る景色いろいろ


    6

 近所の仲間からカラオケ喫茶に誘われる機会が定期的にあって、このところ参加することが当たり前になってしまっている。自分としてはもともと好きな方ではないし、カラオケなどに時間をとられるのはとんでもない無駄と思われたのだが、断るばかりもどうか、たまにはいいか、と、一度参加すると、次もということになって、まあいいか、それほど嫌でもない、とつきあいはじめた。
 ずっと昔、会社勤めをしていたころにも、飲む会のあとなどに誘われていつものコースでカラオケバーに行ったものだった。そんなときにもできたらそっとずらかりたい、誘われたらまあしかたないのでつきあおうか、という姿勢だった。もともと音楽は好きな方だが、人前で歌うのはあまり好きでない、なるべくなら歌わないですむように順番が回ってくるのを回避する、といったところが昔からあった。
 元来、非社交的で人づきあいの悪い人間を自負していて、忘年会などのあとの二次会には気が向かないところがあったのだが、いろいろ人間関係があって、一度誘われて断った後などには必要以上に気をつかって、次は参加することになったりする。一度参加すると次からは参加することが当たり前になって、次第に抵抗感も減じて、それが一つの楽しみといっていいものにもなるのだ。
 そういう段階になると、くだらないと口では唱えながら、インターネットなどで、むかし聴いていいと思った歌や誰かが店で歌っていた歌などを蒐集して、次にはこれを歌ってみようかなどと繰り返し聴いたり口ずさんだりしながら覚えようとしている自分を見いだすのである。
 自分と同年齢のメンバーの持ち歌に藤島桓夫(たけお)の「月の法善寺横丁」がある。最近のある夜も彼がそれを歌うのを聞いて、それならひとつ藤島桓夫の他の歌を歌ってやろうかと思いつき、子どもの頃親しんだこの歌手のごく初期の歌「さよなら港」を歌った。とても気持ちよく歌えた。さらに別の日には同じく藤島桓夫の「かえりの港」を歌った。こちらはさらに気持ちよく歌えた。どちらもずいぶん昔に流行(はや)った歌で、ずっと長いあいだ特に思い出すこともなく、格別に懐かしいとも思ったことのない歌である。
 それから数か月たって、老人会の親睦会が市の郊外の旅館で開催されて、その宴席でも、自分は選曲に迷った挙句に「かえりの港」を歌った。
 宴たけなわ、会場はおしゃべりに盛り上がってにぎわしく、こんな昔の忘れられた歌を覚えている人は誰もなく、耳傾ける人もない様子だった。誰も聞いていない……べつに特別のことではない、それはまあえてしてそういうものでそれでいいのだ、と思いつつ、ふと気づいたのは、誰も聞いていないと思われた中に、一人だけずっとこちらに顔を向けて聞いているらしいひとがいたことだ。その人はぼくとほぼ同年輩の人で、たぶん子どもの頃よく聞いた歌が歌われていることに、何らかの感慨を感じてくれたのかもしれないとぼくは思ったのだった。
 子どもの頃流行していた歌手の歌は幾らでも知っていて、今でも歌詞さえあればいつでもすぐに歌える歌が多い。三橋美智也、春日八郎、美空ひばり、島倉千代子、青木光一、三浦洸一、藤島桓夫、菅原都々子、灰田勝彦、岡本敦郎、白根一男、曽根史郎、三船ひろし、若山彰、伊藤久男、大津美子、松山恵子、野村雪子、三波春夫、村田英雄、朝丘雪路、西田佐知子、神楽坂浮子、藤本二三代、フランク永井、さらに古いところでは、後のナツメロブームの頃毎週ラジオで聴いて知った歌手たちがある。藤原義江、佐藤千夜子、藤山一郎、東海林太郎、淡谷のり子、小林千代子、楠木繁夫、霧島昇、岡晴夫、上原敏、津村謙、田畑義男、小畑実、近江俊郎、岡本敦郎、灰田勝彦、林伊佐緒、伊藤久男、高峰三枝子など……
 さらにその後の比較的新しい時代には、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、克美茂、松島アキラ、井沢八郎、新川次郎、安達明、赤木圭一郎、神戸一郎、守屋浩、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦、三田明、梶光夫、吉永百合子、倍賞千恵子、奥村千代……、そして、そして……さらに新しい時代には……
 おい、おい、おい……これはとんだ脱線……
 いくらあげてみても、夜空の星のようできりがない……
 カラオケ喫茶で「かえりの港」を気持ちよく歌ったあと、家に帰ってからインターネットで検索すると、ネット辞書・ウィキペディアの記事に藤島桓夫のヒット曲がまとめて一覧表示されていた。一覧のなかで最初に挙がっているのは、「たった一言なぜ云えぬ」(昭和29年)で、曲はあまりはっきり覚えていないながら、確かに自分の記憶にある。
 そのあとに五曲が並んでいた。年代順に挙げると、

「初めて来た港」(昭和29年)
「かえりの港」(昭和30年)
「さよなら港」(昭和31年)
「流し舟歌」昭和31年
「また来た港」(昭和32年)

 自分の年齢期としては小学校6年から中学生のころである。
 五曲ともに豊田一雄作詞、豊田一雄作曲となっている。それ以後にも次々とヒットした藤島桓夫の歌(「村の駐在所」「お月さん今晩は」「あんこなぜなく」「凧々上がれ」「月の法善寺横町」など)は、作詞・作曲者はみな豊田一雄とは別の人である。
〝豊田一雄〟――どうやらこの名前に〝ツボ〟がありそうだ。
 そういう考え(一つの幻想? 思い込み?)が自分の中に生じて、他の歌手のヒット曲でも豊田一雄作曲のものがないだろうか? あれば同じような〝心地よさ〟があるのではないか?興味を感じて調べてみたが、残念ながら見つからなかった。
 夕方散歩のとき、以前はNHKラジオの教養講座や、モーツァルトやバッハの曲の録音ファイルを、手のひらに収まる小さなICレコーダーに入れて、いつも持ち歩いて聴いていたものだったが、それもいつからかやまっていた。
 このごろ、過去に気に入ったいろんな流行歌を持ち歩くことを思いついて、子どものころに流行った古い歌を中心に、自分にとって比較的新しいものも取り混ぜて、ICレコーダーに入れた。車の中でも聞こうとCDにも焼き付けた。
 そんな中に藤島桓夫の「かえりの港」なども入れておいた。するとどういうことか、ともするとこの歌ばかりを何度も繰り返し聞いている自分を見出すことになった。いい歌というよりも、気持ちがいいのだ。「沖のカモメよ、情けあるなら、ヨ~オオ、オ~オオ、オ~オオオ~」と一つの音を節をつけて引き延ばして歌うところがそうなのだろうか。歌の部分だけではなく、曲の感じ、なかでも前奏部分や間奏部分がいいのだ。間奏部分が来るのを待ちうけていて、その部分がくると注意を傾ける。あるいは間奏部分のメロディを何度も口ずさんでいる自分を見いだす。
 歌としてならば、もっといいと思う歌は他にいくらもある。ただ、今は、どういうわけか、他のものは繰り返し聞く気になれない。どちらかというと単純で安っぽいとも思われる豊田一雄作曲の〝藤島桓夫〟が、どうしてこんなに〈心地よい〉のか、自分ながら不思議である。いずれそう長く続くことなく、早晩飽きるときがくるだろうことは、過去の経験からも明らかなのだけれども。
 そのうちにICレコーダーの中に藤島桓夫の初期の五つの歌だけを残して、他の曲は削除した。いくら何でもそればかり聞いていてはいずれ飽きてしまうことは避けられない。過去の経験からも明らかな真実である。
 それでインターネットで知ってそのうち聞こうと思ってパソコンに保存しておいたコジェルフの〝シンフォニート短調〟、エッカルトの〝ピアノソナタト短調〟も一緒に加えておいた。どちらもモーツァルトと同時代に活躍した作曲家である。十代の頃から短調の曲が好きで、モーツァルトのト短調の交響曲やハ短調やイ短調のピアノソナタが気に入って、繰り返し聞いていた時期があった。
 こう書いてきて、ネット検索するうちにこんな記事が引っかかってきた。
《藤島桓夫(ふじしまたけお、1927年10月6日~1994年2月1日)は、日本の演歌歌手。本名・坂本義明。愛称はオブさん。藤島恒夫と表記されることがあるが誤り。鼻から頭の先に抜けるような独特の高音と渋みのある低音を織り交ぜた歌唱、粋なマドロス姿や着流し姿で多くのファンに愛された。》(〝Wikipedia〟記事)
 ずっと以前に見たNHKのテレビ番組を思い出す。何の番組だったか、録画して何度か繰り返して見ながら、興味深いと感じたので、ノートにメモを取ったりした記憶がある。
 人が何かおいしいものを食べてそれがその人にとって〝おいしい!〟となるメカニズムを説明していた。
〝おいしい! おいしい! おいしい!〟と脳が思う(思い込む)のだそうだ。
 そうすると(詳細はよく覚えていないが)、あるものが〝おいしい!〟ことを脳が覚えるようになる。
 これはある特定の人を好きになる恋愛の心理にもいえるのではないか、と私はそのとき思ったものだった。
 今回の「かえりの港」などについても、それが当てはまるかもしれないという考えがふと浮かんだ。
〝おいしい! おいしい! おいしい!〟
 学生時代に読んだスタンダールの言葉に〝結晶作用〟というのがあった。ある人(異性)を見て初めは感嘆し、それからいろいろあってしばらく経ってから、あるとき相手が〝すばらしく魅力的〟に見えることに気づく。
 スタンダールはこれを〝ザルツブルクの小枝〟に例えて〝結晶作用〟と呼んだ。
 ザルツブルクはモーツァルトの生誕地として知られ、その名「ザルツ(塩)ブルク(砦)」のとおり、古くから貴重な岩塩の生産地だった。ザルツブルグの塩坑(洞窟)に投げ込んだ木の小枝が数か月後には、塩の結晶で覆われ白く輝く無数のダイヤモンドのように見え、とても元の小枝とは見えなくなってしまう。
 それと似たようなことが、〝ある人〟を好きになるとき、人の心の中で起こるというのだ。
 人は「え? どうしてこんな曲がそれほどいいの? 信じられない……」と思うだろう。恋する男の話を聞いて「どうしてあんな女がいいの? とても信じられない……」と思うのと同じである。私自身の中でもこの感じ方は不変ではなく、別の時期の私には理解できないことにもなるのだろう。
 ふりかえってみると、最初にたまたま思いついて「かえりの港」をカラオケで歌ったとき、とても気持ちいいと思ったのはたしかだが、それはそれだけのことで、この歌は自分にとってまだ特別のものになっていなかった。
 その後またその歌を歌うことがあって、〝気持ちいい〟と思った。さらに何か月かたったあと、老人会の親睦会があって、また同じ曲を歌った。例によって誰も聞いていないように思われたなかに、一人だけこちらに顔を向けて聴いているらしい人がいた。その後夕方の散歩のときなどに、この歌ばかりを繰り返し聴いていることに気づいたのだった。
 ほかにもっといいと思う歌はいくらでもあるのだが、繰り返し何度も聞く気にはなれない。結果としてこの歌ばかり、何度でも繰り返し聞くことになるのだった。

 こうしたことは文章で書くとくだくだしくて、ひどく読みづらいものになるかもしれない。しかしこういうことは避けて通れないのではないかとこの頃思うのだ。書くとは元来こういうこと、くだくだしく読みづらくなってもならなくても、ここに一つの真実があるからには、それを思いきり追求していくしかない、そう開き直る必要があるのではないか。
 日頃書くことが思い浮かばないという不毛感を感じている。日記に何か書き記してみても、通り一ぺんの平面的な文章しか出てこない。そんななかで、今日は不思議なほど文章が湧き出てきたのはどうしてだろうか。
 いってみれば、これはマグマのようなもので、ひとかたまりになって一気に出てくる。こんなふうに一気に出てくるものには、なにがしか価値あるものが含まれているかもしれない。それは冷静な頭でひねくり出されるものではなくて、生命の底に流れる泉から汲み出されてくる。自分の中にある生命の水とつながっていて、そこから湧き出てくるものなのではないか。
 こういうものが出てくる状態に入れるように自分を導けばいいのではないか。半ば意識的にそういう状態に自分を導き入れることが可能なのではないだろうか。
「わかりきっていて書くまでもないと思えることでも、日ごろから律儀に書きとめることに意味があり、後々それが役に立つ」ということを読んだのは何の本だったか?
〝わかりきっていることだから書き留めるまでもない〟と思えることでも後になると思い出せないものになる。あのときどうだったか? 〝わかりきったこと〟がもう蘇らない。その〝わかりきっている〟ことが実は貴重なのだ。
 昔から刺激になりそうな〝HowTo〟本を書店で見かけるとつい買ってしまって、その都度「また買ってしまった」と苦笑したものだった。この種の本を読むのがまた格別に楽しいので次々と買ってしまうのだ。読んでこれはというところを抜き書きして保存したり、これだ、これで行こう、とプリンタで打ち出して、バインダに閉じたり壁に張ったりするのだが、例外なくすぐに忘れてしまって、結局実行されないままに、たくさんの貴重な教訓や素晴らしいヒントがパソコンやバインダの中に眠ったままずっと長いあいだ埋もれることになる。再び読み返すことはほとんどなく、たまに偶然見る機会があると、〝あ、これだ、これを忘れないようにしなくては〟と思うのだが、すぐまた忘れて、そのあとずっと思い出すことがない。
 問題は〝非常に大切なこと〟が忘れられて思い出されないままになること、肝心なことが隠れたままになった状態で長く続くこと。
 人生においてはそういうことがごく常なのだ。
 いってみるならそれは宝物のようなもの。偶然またみつかることがあるかもしれないし、生涯眠ったまま終わるかもしれない。貴重な宝物が眠る場所をもっと意識的に探索して、自分にいい感じの刺激を与え続けることが必要なのだろう。眠っているすべての宝物を掘り当てることはできないだろうが、その中の幾つかに偶然遭遇するだけで、自分にとって貴重なヒント、刺激が得られるはずではないか。

 その後も、藤島桓雄の初期五曲の作詞・作曲者である豊田一雄の名前が、この五曲だけで消えてしまったことに疑問を感じていた。この人は何かの事情で業界から消えてしまったのだろうか? そんなことを思ったりもしたが、その後もネット空間を執念深くいろいろ工夫しながら検索するうち、意外なところが引っかかってきた。

「釧路の駅でさようなら」(作詞:吉川静夫、作曲:豊田一雄、歌:三浦洸一、昭和33年)
「羽田発7時50分」(作詞:宮川哲夫、作曲:豊田一雄、歌:フランク永井、昭和33年)

 どれも作曲は豊田一雄、すっかり忘れていたが、たしか高校に入ったころだったかよく聴いた記憶がある。
 ヒットという点では比較的静かな存在だったかもしれない気がするが、今聴いてみてもなるほど懐かしくいい歌だ。藤島桓雄とはずいぶん趣が異なるが、やっぱり豊田一雄……と思わせるものがある。
 これらの歌も散歩のとき持ち運ぶ歌に加えることになった。



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# by mozar | 2018-01-01 22:07 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(5)


  鏡に映る景色いろいろ


    5

 ここにもう一つのことを書き加えておきたいと思う。
 年末近いある日、電話が鳴って受話器をとったとき、受話器の持ち方が悪かったのか、あるいはかなり以前から当方の右の耳が遠くなっていたこともあるのか、電話の向こうの声がほとんど聞きとれない。女性の声で「○○ですが……」と名乗ったようなのだが、どなたであるのかかすかにしか耳に認識できずにわからない。……どなたか近所の人だろうかと思い、これは困ったと戸惑いながら返事もできないでいると、
「主人が亡くなりまして、葬儀も終えて……」という言葉が耳に入ってきた。
〈え? 誰? 何?……〉
 名前を問い返すのは失礼かと思いながらも、今は尋ねるしかない。
「え? どちら様ですか?」
「あの、長井隆文の……」
 え? 長井?……
 その言葉でただちにわかった。何と言っていいのか、とっさに言葉が浮かばなかった。……
「あ! 長井くん。そうですか。それはどうも……」
 ごくあっさりした短いことばしか言えなかった。
 奧さんとは一度も会ったことがない。
 たしか名を知られた女性画家(日本画系)の娘さんで、その画家はK市内でも北の方の農村地域に住んでいて、私も一度長井君に誘われてお家を訪問したことがあった。彼女は家の壁か戸に猫が出入りできる穴を空けているという話をしてくれたと記憶する。
 ずっと昔からの大事な友人が亡くなったという報せ、こんな場合には、もっと尋ねたり言ったりすべきことが当然あるだろうとは分かっていたが、どうも自分は昔からそういうことが不得手で、言葉がつまって何も浮かんでこない。いろいろな事態に自分はこういう舌足らずで不十分で礼儀に失するかもしれない対応を繰り返してきたものだ。
 前号の〝同人雑誌〟を送ったとき、長井君は、とても好意的な励ましを含んだ言葉を寄せてくれていた。
 その文面には同時に彼の深刻な病状(極めて重篤で苦しい状態)が、〝苦笑と強気〟を装いながら、率直にしかも詳細に記されていた。訃報があったとしても少しも不思議ではないことはその文面からもよくわかった。
 奥さんからの電話をつい心なく短く切り上げてしまったあとも、繰り返し長井君のことが思われた。とうとう行ってしまったのか。長い間ずいぶん苦しんだことだろう。彼と最後に会ったのはいつだっただろうか。
 彼は若いころから山歩きが好きで、学生時代にも誘われて長野方面の山へ登ったことがあった。ずっと後のある時期、長野方面の山で、山小屋に住み着いて登山者の接客仕事をしている話を、登山系の雑誌に掲載したものを送ってくれたこともあった。その後さらに彼は件の画家のおともをしてインドへ渡り、インド紀行のようなものを掲載した雑誌を送ってくれた。インドの少年や素朴で貧しい人たちとの交情のことなどを生き生きと印象的な文章で書いていた。若いころ深く好んで読んでいたドストエフスキーの影響が、そんなところに濃厚に現れていると思ったものだった。
 その後彼がインドから帰って再びK市に住み着くことになってから間もなく、彼の提案でいっしょに奈良の大和を歩き、次には兵庫県の宝塚方面、さらにまた六甲の山中を歩いたことがあった。
 まもなくして、彼から、重篤な病に倒れて入院した、という便りがあった。
 さらに何年かおいて、あるていど回復したと、彼からまた山行の誘いがあって、無理しない方がいいのではと懸念を感じながら、最後に会ったのはたしかもう六、七年も前で、そのときは京都の東山方面を歩いた。
 昔懐かしい同志社大学前のバス停で待ち合わせて、東山の方向へと歩いて、かつて学生時代に何度となく歩いた真如堂や法然院がある付近まで行ってから、東山へと入って行った。たしか登り口あたりに熊野若王寺神社というのがあって、しばらくいくと「新島襄・八重の墓、登り口」という看板が立っている、あの場所だ。
 ひとまず落ち着いたとはいっても、彼の身体を心配しながらの山行だった。彼は弱みを見せたがらないところがあったから、当方もあまり心配しているところを見せては悪いかという思いもあって、つい無理をさせてしまったのではなかったか、と、彼と別れて帰る新快速電車の中で思い、帰ってからもずっと気になっていた。
 今年は、八月に隣家のTさんが亡くなり(こちらは高齢で長年病に苦しんでいたから、いよいよ来たかというところがあった)、さらにそのあとに同人誌仲間で発行をけん引してきてくれたKさんもまさかの突然に亡くなった。こちらはまさに〝晴天の霹靂(へきれき)〟だった。
 同人誌の最後の号が出来上がって、長井君に送るとき、「これが最後の号になるかもしれない」と悲観的な思いを書き送った。メンバーは高齢者が多く、突然いなくなったKさんに変わって活動をけん引する人はいないだろう、自分には荷が重過ぎる、と思うと、やっていくのが難しい気がしていた。
 そんな思いを長井君に書き送ったところ、彼から〝Kさんの志を継ぐためにも同人誌活動を続けるべき〟と励ましの手紙が送られてきた。

《雑誌を送ってくれてありがとう。十か月に一度の発行ペースが今回は少し遅れたみたいで、ちょうど一年ぶりぐらいですか。同人の多くが高齢化して、続けていくのがなかなか大変だろうとは思いますが、これまで発行を牽引なさってきたKさんの突然の死去で、「これが最後の号になるかもしれない」というのは、いかにも残念です。
 編集後記を読むと、Kさんは、驚くべき数の団体やグループの会長や代表を兼務されていて、それぞれに中心的な世話人としてさまざまなイベントの立案・計画と、その実施に労をお取りになりつつ、同時に、身を粉にして「文学」の編集作業を続けられてこられたようですから、故人のご苦労に報いるためにも、残った同人が一致協力し合って発行を続けていってほしいと思います。
 君とKさんとは、こちらの記憶の範囲内では、同郷の文学仲間であり、彼は君のよき理解者であったはずで、少なくとも四十五年前後同じ志をもって変わらぬ交わりを結んでこられた仲なのではないですか。それだけに、突然そういうかけがえのない人を失った君の心のうちがよくわかります。当方も、もう何十年来、お名前だけで直接は存じ上げないお方ですが、深く深くご冥福をお祈りさせていただきます。》

 長井君とは〈若き学生時代〉からのつきあいで、自分はもともと非社交的で人見知りする性分で、交際範囲も広くなかった。そんななかで長井君とはずっとつきあいがあったし、ときには反目することや白けることもあったりしながら、名曲喫茶に通ったり、いっしょに街に出てボーリングや玉突きをしたり、互いの下宿を訪問し合ったり、読んだ本や文学や美術関係のことを語り合ったりした。
 ドストエフスキー、スタンダール、モリエール、シェークスピア、ディケンズ、ほかに、当時〈心理小説〉がわれわれの関心の一つになっていて、バンジャマン・コンスタン『アドルフ』、ラ・ファイエット夫人『クレーブの奥方』、レーモン・ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』などは共通の話題になっていた。
 レールモントフ『現代の英雄』、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』、ヘンリ・ミラー『南回帰線』『北回帰線』がいいからぜひ読んでみろとすすめてくれたのも彼だった。
 卒業後、私が故郷に帰ってからも、彼は学生時代の町に残っていて、互いに連絡をとりあっていた。彼の出身は瀬戸内海の弓削(ゆげ)島、因島の橫にある小さな島の一つ、広島県に近いが、愛媛県に属するといっていた。子どものころ家のすぐそばで海の幸が豊富に獲れて、獲ったその場で料理して食べたのがおいしかったという話などを聞かしてくれた。
 最近の彼の手紙は実に緻密で内容豊富、印刷された細かい文字でびっしりと記されている。
《こちらは、入退院の繰り返しで、去年の五月下旬からもう五回になります。
 最長日数が五十日間、最短が十日間、平均三週間程度の入院で、合計すると、この一年三ヶ月ほどの間に百日余りを病院で過ごしてきました。
 ………………(中略)………………
 医師は入院中毎日病室に来ていた女房殿に何度も「もしものこともあり得る」と言っていたようですし、患者本人にも直接打ち明けてくれたことがありましたが、患者本人の意識として「自分自身のこととして自ずとわかる気持ちの上の元気度を考慮すれば、今はまだそれはあり得ない」と医師の言葉を一笑に付したこともありました。医師は、患者の個人的な生命力には注意を向けず、これまで経験してきたケースを尺度にして平均的に判断する。患者としては、医師の評価がどうであろうと、〈死ぬのはまだだいぶ先〉という意識を今もかなり強く持っています。〈親からなかなかしぶとい生命力を与えられていて〉、不摂生に不摂生を重ねてきた一生だったにもかかわらず、死にたくても簡単には死なない、できればKさんのようにポックリと逝きたいと思ってもなかなかそうは行きそうにない。死ぬときは痛みと汚物にまみれつつのたうちながら死ぬのが自分の宿命かなと、まあ、若いときに好き勝手に生きてきた報いの、「神」の差配の帳尻合わせとして、仕方ないかと、半分諦めています》
 学生時代の昔から、彼はこんなふうな自分の生きかたや死にざまのことを書いたり話したりしたものだった。
《その後体調はいかがですか。以前からいろいろなトラブルを訴えておいでだったから、老化とともにその度を加えていることもあるだろうと思いますが、今回の作品の勢いからすると、まだまだ行けるのではないかと推定したりしています。
 夏が終わり「天高く……」の秋になったとはいえ、九月は雨天曇天続きの、梅雨期以上に欝陶しい毎日でした。近年は、温暖化など地球環境の変化で、気候・天候のことは、以前の常識がまったく通じなくなっていて、十月こそはもう少し気持ちよい月になってほしいと願っていますが、どうなることやらと、正直危ぶんでもいます。
 ともかく、元気で書けるうちにどんどん書いてほしいと思います。草々》

 その後、わが同人誌仲間が集まる機会があって、同人誌の存続をどうするかという問題が持ちあがった。堅実に精力的に同人誌発行をけん引してくれたKさんの真似はとてもできないながら、最近は若い書き手も参加してくれているのだから、作品を書く場を確保する意味もあり、〝とりあえず続けてみよう〟という意見が大勢で、引きつづき同人誌を続けることになった。

 年末に長井君の奥さんから〝喪中〟のはがきが届いた。
 さらに四月に〝転居〟のお知らせがあった。
《ご無沙汰しております。お変わりなくお過ごしでしょうか。
 この度下記に転居いたしました。あわただしい日々でしたが息子たちの近くに住むことになりました。植物園が近く、満開の桜が綺麗です。散歩をしながら徐々に慣れていこうと思います。今後ともよろしくお願いいたします》
 印刷された挨拶文のあとに手書きの〝追記〟があった。
《いただいたお手紙のなかには「重要、捨てるな!!」と書いてあるものもありました。いろいろとありがとうございました》


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# by mozar | 2017-12-29 18:39 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(4)


 鏡に映る景色いろいろ


    4

 午後二時から、市の本村会館で〝人権講習会〟というのがあって、それに出てほしいと町内会長のMさんから頼まれていた。本村会館は我が家の近くにあって、その前を自分は車で毎日のように通っているが、そこへ入るのは初めてであった。広いとはいえない駐車場にもうすでに車がいっぱいで、今着いたらしい人たちが会館に入っていく。
 二階の会議室へ入ると、会場はいっぱいで最前列の方の席がまだ空いている模様。できれば後の方の席が気楽でいいのだけれどと、空いた席を探して前の方へ行くと、中ほどに田上幸信さんがいたのでちょっと当惑。ちょうどその隣の席が一つ空いている。
 ときどき彼とは別の会でもいっしょになって気軽に言葉を交わす間柄だが、こんな場所で同席するのは戸惑われた。
 無口な自分は何を話したらいいのか、何も言わないでいるのは奇妙だろうし、自分が横の席にいれば彼も窮屈で気まずいだろう。同席を避けたことが相手にわかるのもまずいかとも感じて、その席に座ることになった。そのとき場内整理のためにそばに立っていた会の役員であるHさんが、「Sさん、もっと前へ。前の方が空いている」というので、そのとおりにした。
 人嫌いというのではないが、どうも自分は人を避ける傾向がかなり著しいようだ。街などで知った人を見かけると、声をかけるよりもまず相手から気づかれないように避けようとする自分を見出すのだ。相手から気づかれたときには親しさをみせて会釈をするが、できれば言葉を交わさないで軽くすれ違おうとする。場の成り行きで立ち話が始まっても早く別れるきっかけをつかもうとする。相手を嫌っているのではないのだが、人と向き合っている(気を使って向き合う)状態にいつも落ち着かないものを感じるのだ。
 この日のような会合でも、顔見知りでない人と隣合わせになる方が気が楽というところが自分にはあった。要するにそれほど自分は、生来、人と関わることへの不安感、不具合感に悩まされてきたのだった。

 地区の町内会や老人会、子ども会、PTAなど、いろんな団体の役員などを集めて、三〇分ていどのビデオを見せて、その後招かれた講師が話をする、そんな会である。
 DVDビデオがスクリーンに放映された。自分たちが住んでいるすぐ身近なところにいろんな人たちがいる。われわれは日頃それに気づかないまま素通りしている。そんな風なことを考えさせられた。
 涙を流す人が周りに何人かいる様子、それが感知された。自分自身もこれは困った、出来るなら涙など見せたくないと思いながら、涙が漏れてちょっと困った事態になった。鼻水までも出てきた。
 講習会は一時間半ていどで終わった。いつもなら真っ先に席を立って帰るところだが、先ほど後ろの方で見かけた田上幸信さんと顔を合わせることを避けようとの思いがあって、しばし席を立たずに意図的にぐずぐず時間稼ぎをしていた。ようやく立ち上がって出口の方へいくと、田上さんがまだ席に座っていて当方へ話しかけてきた。
「町内会長から頼まれてね」と当方は苦笑しながらこの会合に出てきたいいわけをした。
 田上さんは桐山則博さんの話をはじめた。
 田上さんと桐山さんは、若い頃から文学活動を通じてかなり親しい交流もあったようだ。
「最近は桐山さんと連絡がまったくなくなっていたけど、正月過ぎに手紙がきてね」と田上さん。「それも北海道、札幌から」
「え? 北海道? 札幌?」
「うん。しばらく日にちを置いて今度は旭川から手紙がきて。それからさらにしばらく置いて、また別の場所(釧路だったか?)からきた」
「うん、うん……?」と笑ってうなずきながら、〈え? どうして? 桐山さんは北海道に住むことになったの?〉などと暢気なことを思っていた。
 田上さんの話は次に北陸へと飛んだ。
「それから北陸の金沢の方から電話が入った。彼は普通に落ち着いて話す人だったのだけれども、その時の電話の声はかなり奇妙でハイテンションだった」
「うん、うん……?」と応じながら、〈おい、おい、大変なことになってきたのでは?〉とさすがにいぶかるうちに、さらに話が進んで、
「それからまもなく今度は白山のあたりの警察から電話があって」と田上さんの話は続く。
 そう聞くうちにどうやらこれはエライことだと気づきはじめた。桐山さんは死出の旅に出て、その途中で旅先から次々とかつての親しい友人に手紙を出した。そして旅行きの果てに、覚悟してきめていた計画(=自死)を敢行した、ということではないのか、という厳粛な事実が浮かびあがってきた。笑ってばかりはいられない。……
「このところ桐山さんとはずっと会っていなかった。年賀状は毎年出していたけれど、ここ何年かは返事が途絶えていた」
「そう。ぼくの方も同じ。年賀状が来なくなった。何年か前から桐山さんはインターネットで出版業をはじめ、全国から会員を募集して文学関係の同人誌を企画印刷したりして、何度かその雑誌が僕の方へも送られてきた。どんなものを書いているのか読んでみようと興味を感じながら、結局あまり読まなかったけれども」
「うん、そう。それから彼は二年ほど前に小説を単行本で出版してね」
「うん、それはぼくも読んだ」
 小説は、いかにも桐山さんらしいものだという気がした。あるていど義理でというところがあって、丁寧に読んだわけではないけれども、何でも主人公の男性が複数の女性と次々恋愛関係におちて、関係した女性たちが愛に悩みながら自殺したりして死んでいく。最後に主人公の男性も自殺する、そんな内容の話だった。……
 彼が北海道や北陸へ旅に出て自死したのだとしたら、これはあらかじめ仕組んだ計画だったのではないのだろうか。全国各地へ旅行に行くことは、以前から繰り返していたようであるが、今回はいよいよ総決算で、計画的に旅に出て、計画的に死んだのかもしれない、あるいはその前に死が次々と登場する作品を書いたことも、作者の中に死と結びつく何かがあたのかもしれない、そんな思いが去来するのだ。
「白山近くの警察から電話依頼を受けて、あちらこちら心当たりへ電話してみた」と田上さん。「桐山さんがA町のTさんと親しくしていたのを思いだして、Tさんに電話してみた。Tさんのところへも同じような手紙が数回来たということだった」
「ほう? Tさんのところにも?」
「うん。それから桐山さんの奥さんに電話してみると、奧さんは〝私はもう関係ない〟という返事だった。奧さんはC社の事務職員だった。最近離婚したときの経緯を考えると、奧さんとしてはそれが当然との思いだっただろう。それから神戸にいる彼の娘さんに電話してみた。娘さんは子どものころからぼくもよく知っている。彼女は検死のためにに白山の方へ行くといってくれた。察するところ離婚したあと、桐山さんは暮らしの方も逼迫していたかもしれないという気がする。身体の方にも思わしくないところがあったようだし」
 そんなことを田上さんはひととおり話してくれた。今日この機会にそのことを是非伝えておきたいと思って待っていてくれたのに違いなかった。
 かなり衝撃的な話。……ずっと心に重く残った。
 桐山さんは鬱屈して複雑な過去を心の底に抱えている、と僕は常々想像していた。その陰は彼の初期から後年に至るまでの作品にもうかがわれる。
 以前は彼の文章を通り一遍の読み方で読んでいただけで、それほど深く興味を感じていたわけではなかった。作品に表れた彼の心の陰といったものを改めて思い返しはじめると、どうして彼がここにいたったのか、どういうわけで死が彼にとって近しかったのか、それを考えてみたくなった。
 いま思うと、彼の作品には、若き当初のころからどこか暗い陰(〝死〟の陰?)があったように思われる。今になってそれを確かめるために彼の作品を読みなおしてみたい気にもなっている。
 彼のペンネームと、最近出た本の名で、インターネットを検索すると、幾つかの記事がヒットしてきた。彼は何年か前からブログを公開していて、ブログにその都度書きつけた記事も豊富に残っている。今それを読んでみるとなかなか興味深いかもしれない気がする。読む時間があるかどうか、心許ないけれども、出来るだけ読んでみたいと思っているところだ。
 彼の本を紹介した記事がインターネット上にあって、検索すると作者の写真が載っていた。まさによく知っている彼の顔である。中折れ帽をかぶって眼鏡をかけていて、頬がやせた感じで、思えば独特、陰が感じられるような気がする。以前ならそれほど関心を引かれなかっただろうと思うのだが、今見るとなぜかしら深い印象があるから不思議である。それを見るたびに彼への関心が呼び起こされる気がしている。



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# by mozar | 2017-12-29 18:37 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(3)

 鏡に映る正体不明のものたち

     3

 カフェ・レストラン「プロムナード」はかなり空いていた。奥の方の席に座って、ポケットから買って読み始めたばかりの新書本を取り出した。
 最近は小説の類をあまり読まなくなった。書店をのぞいてつい買ってしまうのは、世界や日本の経済や社会やいろんな問題に関するドキュメントものである。この種の問題は、いろいろ様々な意見や見方があって、よく理解できるわけではないのにそれなりに興味深いので、つい買って読んでしまう。系統的に何かを学ぼうと考えて選ぶのではなく、書店で見かけて面白そうだからとつい買ってしまう。買ってから「ああ、また買った」と苦笑いしながらも、たちまち読んでしまうのだ。読んでいる間はあれこれと考えめぐらせながら、赤と黒のボールペンで傍線をたくさん引く。しかし読んだ後で得た情報や考え方を自分の知識とするために整理することはないし、再び読み返すこともめったにない。どんなことが書いてあったかと問い直してみても、ほとんど何も言えない。読みっ放し。……それでいい。……
 ずっと以前、若いころには、スポーツ新聞でプロ野球関連ニュースを読むのが楽しみで喫茶店に入ったものだった。自宅の新聞でも当時は、まずスポーツ欄を開いて見て、ほかのページの記事はあまり返り見なかった。
 いつのころからか、政治・経済・世界情勢、社会問題などの方に興味が移って、スポーツ欄などはすっとばして見るようになった。ある時期からテレビで報道番組ばかりに興味を惹かれて見るようになった影響だろう。
 興味の的はけっこう偏っていて、最近でいうと、日本や世界の経済問題、中国・北朝鮮・韓国に関するニュース、アメリカ大統領選挙、トランプ大統領の誕生やその後の政権運営、イギリスのEU離脱のことや、ヨーロッパの極右勢力の台頭……いやいや、そういうことに精通しているというのではまったくなくて、ただとにかく、そういうニュースの裏にどんな意外な事情があったのか、こんな見方もあったのかと思いながら、興味津々記事を追いかけるのである。
 毎週幾つかの報道関係番組を定期的にタイマー録画して見る習慣がついていて、それを視聴することにけっこう時間をとられる。録画したものを見る間はリモコンを操作するだけだから、寝転んで身体を休めていられる。コマーシャルはもとより、あまり興味がわかないニュースは早送りしてどんどん飛ばしていく。
 面白いからつい幾つもの番組を長時間見てしまう。毎日こんなことにこんなにも時間を取られていていいのだろうか、見る時間を鋭意減らさなくては、と思いながら、一つ終わるとまた次の番組を探し求めている。これはもう娯楽といってもいいのではないか。
 いってみるなら、むかしプロ野球のニュースを追いかけたのと同じように、今、世界や政治や経済や何やかやのニュースを追いかけているのだ。
 ニュースが娯楽になる! たしかにテレビでは明らかにその傾向が表れている。重大なニュースや深刻な問題の報道が娯楽番組のように立派な楽しみを提供しているのだ。以前はプロ野球や韓国ドラマやNHKの教養番組などを見るのに同じように多大な時間を取られていたが、この頃は報道番組ばかり見ている。それは〝娯楽〟ともいえるのだが、ある意味〝好奇心〟といってもいいものかもしれない。

 ホットコーヒーを注文して、本のページを繰り始めたとき、客が何人か入ってきて近くの席に座った。三人組で、一人はかなり高齢と思われる女性、あとの二人は六十代半ばにはなるだろうか、と思われる女性と男性。
「イシカワのトモカズさんがようなかったって。つい今朝ほど電話がかかってきて知った」と高齢らしい女性がいった。
「ええ? トモカズさん? イシカワ君?」少し若いと思われる女性。「中学校で同じ学年やった。具合悪いと聞いとったけど、イシカワ君亡くなったんですか? いつ?」
「ついさっき聞いたばかりで」
「ええ? 今日ですか!」
「今日か昨日かしらん、さきほど電話で聞いたばかりよ。前からわるかったんかな」
「だれが亡くなったって?」と男性。
「イシカワさん、トモカズさん、ほら銀行に勤めていた。二年ほど前に退職して、いつか脳梗塞で手術したと聞いた」
「あの家はおばあさんがおったな」
「おばあさんは死んだ。何年前やったかな?」
「死んだか?」
「ようないことは以前から聞いとった」と男性。「トモカズさんは若い頃神戸におったことがあって、会社の仲間に誘われて雑誌かなんかを発行して、〝ちょっとモノを書いた時期があった〟と言うとった。あるお酒の席でぼくは持病の発作で苦しんでいて、トモカズさんから酒を注がれ話しかけられたとき、うまく返事できなかった。それ以来トモカズさんは微妙にこちらを避けるような気がして、関係がぎこちなくなった。それを解消するために話しかける機会があればと思っていたけれど、その後まもなくいつもの会にも姿を見せなくなって、どうやら調子が悪いという噂を聞いた」
「どこで倒れとったって?」
「どこで倒れとったか、病院に入っとったか、わからん。さっき電話で聞いたばかりでそこまで確かめなんだ」
「あしこは子どもが二人あったな」
「うん二人あった」
「上が男でB病院に勤めとる、下が女、神戸で小学校の先生しとるとか」
「二人とも立派に育っとる」
「人間はわからん。今ここでこんなこと言いよっても、自分らもあしたどうなっとるやわからん」
「ハナダのヨッちゃんよ。二、三日まえに家に車が見えなかったからまた働きにいっとるのかなあと思うて見てたら」
「このごろヨッちゃんは髪も髭ものばしたままで」
「また仕事に行くいうとったけれど」
「まだ仕事には行っとらんようや」
「けっきょくどこがわるいのよ」
「自分では〝うつ気味〟やいうとったな」
「嫁はんは市役所に勤めとるんだあ?」
 詳しい事情はよくわからないながら、ここにも何かしら〝真実の影〟のようなものが垣間見られる気がする。



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# by mozar | 2017-12-29 18:24 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(2)

  鏡に映る景色いろいろ

 

      2

 町のスーパーマーケットの二階フロアで上着、ズボン、靴を買うことになった。
 親戚の人に会ったり、ちょっとした会議に出たりするときのために、以前から買おうと思って、あちらこちらの店を何度も何度も見て回っていたのだが、今ひとつ買いそびれていた。これはというものがなかなか見あたらなかったせいもある。それを今回は一気に三点買うことになった。
 次の土曜日にも、岩野家の人と会食することになっている。スーツならあるのだ。退職直前に妻といっしょに近くの大型洋服店に行って、〝二着買えば二着目が半額〟というので、妻の後押しもあって二着買った。その後、そのうちの一つを一度着ただけ。
 自分としては、スーツはちょっと改まりすぎという気がして落ち着かない。なるだけカジュアルでラフなものがいいという思いがあるのだ。
 今日は月に二度ある五%割引の日。何か金目(かねめ)のものを買うときには、なるべく割引の日にしようと日ごろから思い定めている。衣類二点と靴をまとめて買うのはそういうこともあった。安売り値引きの日ということもあってか、レジのところには何人か並んでいて、ちょっと待ちくたびれた。自分の順番が近づいたとき、財布からカードを取り出そうとしたが、カードが見当たらない。ええ? 財布にしまわないでポケットに入れたのだったか? あわててポケットをさぐった。何度探してみてもそのカードがみつからない。今さらやめるのもという気がして、まあいいか、割引などなくてもそれほど大したことではない、と、ついそのまま割引なしでレジを通った。何ということか。
 買った品物をいったん車のなかに置いてこようと、エスカレーターで三階駐車場にあがった。そこでもう一度財布を調べてみると、カードがあった。何ということか。

 一階の食品売り場で買いものをする必要があった。退職後はもっぱら自分が家族の夕食を準備する役割を引き受けてきたから、市内にあるいくつかのスーパーのどこかで、食料品などを買うのは毎日の日課になっていた。
 妻は仕事でずっと忙しく、自分より六年後に定年退職をむかえたあとも、また新たに忙しい仕事を引き受けて、日々動き回って苦しんだり悩んだりしているようすだ。彼女はそういうことをやめられない性分で、毎日忙しくしている。家にいるときには、言葉を発するのも億劫という感じで愛想もなくそっけない様子、ぐったりした感じを見せていることが多い。それでも疲れを知らないかのように台所のノートパソコンに向かっていることも多い。パソコンで仕事関係やボランティア活動の仕事をしたり、最近ではインターネットのタイピングソフトに凝っていて、キン、キン、キン……と電子音を鳴らしながら、キーボード入力(ブラインドタッチ)の精度向上に取り組んでいる。自分のようにテレビをかけたまま終始寝転びっぱなしなどということはないようだ。
 彼女はもともとアルコールは飲めない方で、日頃から当方の飲酒に対しては認知症が進行すると厳しく迫るところがあった。そんなある夜ふと台所に行くと、憂鬱そうな姿勢で缶ビールをちびりちびり飲んでいる彼女を目撃したりすることがあった。大丈夫なんだろうか、無理しすぎて倒れたりするのではないだろうか、そうなったらわが家は大変なことになる、と当方は常々心配しているのであるが、そういうことはもちろん口に出してはいわない。
 意識してとてもゆったりとした歩調を保ちながらスーパーの食料品売り場へ向かうときも、足元のふらつきを感じていた。どうも最近は街を歩くときなどに足がしっかりしない気がする。橫にふらつくような頼りなさがあり、頭の方も何となくふらふらする気がする。
 当然のことながら年齢に応じた身体の衰えはある、とはいつも思うところ。自分の年齢になったらそういうことがあっても何らおかしくはないという自覚はある。以前から、体力はもちろん、ものを視る力もずいぶん弱くなっている、耳も片方が聞こえにくくなった、と実感するところ。手の皮膚や爪がちょっとしたことで損傷する。身体に常に不具合感や疲労感がある。もっとも、身体の不具合感や疲労感の方は、今に始まったものではない、若いころからもよくあったのではなかったか……
 高齢になって、脳や心臓、胃や腸がどうなっているか心配でないこともない。若い頃には虫喰いもないといわれた自慢の歯も今はボロボロになった。それも幸い歯医者さんのおかげで何とか不自由しないでいられる。若いころからの持病が今も続いているのはやむをえないだろう。免疫力が落ちていつ致命的な病気にやられるかわからないが、それは考えても仕方ないことだ。老いのことをあれこれ愁えても、それで事態がよくなるわけではない。そういうものは逆らいようもなく自然に進行するもので、そのまま受け入れてそれに従うだけのこと。最近は、自分よりずっと若い人でもあちらでこちらでぽつりぽつりと歯が欠けるように亡くなっていく。けれども今のところ自分はまだ曲がりなりに無事でいる。なにがしかの力が自分の中に残っている。まだ何かができると感じている。ありがたいことではないだろうか。いずれそのうちその感じも失われることになるのだろうが、そのことを恐れていても始まらない。それよりも、まだ自分に残された時間と力があるうちに、それをできるだけ享受し、したいこと、しなければならないことをやらなければ、と思うのである。

 もっとも〝そんなことを繰り返し思う割り〟には〝毎日信じられないほど何もしないで暮らしている自分〟がここにいる。そんな自分を目の前に見ては、今さらのように改めて驚きを感じるばかりである。
 今朝もパソコン内を検索していたら偶然、

「あなたはまるで一日百二十四時間あるような生き方をしている!」

 という一文が引っかかってきた。
 よく覚えている。アーノルド・ベネットの本で『自分の時間』とかいう題名だった。渡辺昇一訳で、もうずいぶん以前に読んだとき、大切な言葉として肝に銘じておこう、と抜き書きしておいたものだった。こんな貴重な宝物ともいうべき言葉が、長いあいだパソコンの中に隠れたままになっていたことに驚くのである。
 パソコンの中の〝闇の金庫〟には、他にも肝に銘じたいたくさんの貴重な言葉が、忘れられたままに眠っている。

 頭がぼーっとした感じになっていて、とてもゆっくりと歩いた。前方に見えてくる人の顔やありさまを、相手からわからないようなさりげない仕方で、相手に気づかれる心配がないことを確かめながら、一人一人を意識して見るようにするのだ。あまり真っ直ぐにそちらに顔を向けるのはためらわれる。ちょっと横の方に顔を向けたり下を向いたりしながら、何気ない感じで視線を前に向けて〈見る〉のだ。たいてい相手は平気な顔で通りすぎ、見られていると意識する感じはなかった。
 いつもなら、行きかう人の方をなるべく見ないようにしている自分を見出すのである。本来自分と関係のない人たちを意識して見ることはひどくためらわれることだし、通常は無関心で〈見ないで〉過ぎていくのが自分の日常の在り方だ。人だけでではなく、周囲のモノについても、通常自分は驚くほど何も見ないまま過ぎていくことに気づくのである。
 もちろん自然といろいろな事象が目に入ってはくるのだが、なるべく見るのを避けている。別に見たいとも思わないし、見ても何か面白いことがあるわけでもない、たいていは見なくてもわかりきっている、というような感じである。
 今日は不思議なことだが心が開いている。というか、どの人もどの人も心に入ってくるのだ。それは別の言い方をすれば、それぞれの人の中へ入り込む感じでもある。入り込むといっても、実際にその人の内面がわかるわけではないし、わかったという気がするのでもない。人々の姿、形、服装、動き、たたずまいがそれぞれみな違っていて、みなそれぞれに特徴があって、それがそのまま〈おもしろい〉〈興味深い〉〈親しみがもてる〉と感じられる。何故かしら心に懐かしく触れるという気がするのだ。
 それぞれの人の存在のメロディーが、自分の心の中で感じられる、といったらいいだろうか。それぞれの人に乗り移るような感じ。呑みこむ、あるいは呑みこまれる、といったらいいのだろうか。その人になって、その人の中に入って、生きようとする、そんな感じかもしれない。いや、いや、生きようとするまでにはいかないが、その発端、かすかな前触れのようなもの。
 一階食品フロアでいくつかの品物を買ったあと、三階の駐車場へ戻るためにエスカレーターの方へ向かう。
 一階フロアの特別展示スペースは準備中だった。展示棚に使う木製の構造物(椅子でもない、机でもない、枠組みのようなもの)がズラリと床に積まれてあった。あちらこちらで、店員か設営業者か作業員なのかよくわからないが、人々が準備作業をしていた。ぼんやりとした状態でゆっくりと人の姿などを次々と目にしながら、その一角を通りかかったとき、男性と女性の二人組が目についた。男性は背広にネクタイ。女性は店員の制服姿だった。男性が小走りに走って展示場の部分を指さしながら何か言うと、女性がそれを聞いて近くへ走り寄って、何か答えている。その走りより方、答え方がちょっと大ぎょうで、「そこまで敏感に反応しなくても」といいたくなるほどの印象があっておかしい。
 ゆっくりゆっくり。……
「ゆっくりでいいのだ」と意識して歩きながら、夢想するように人の姿を目に入れていくと、たしかに〈入り込める〉(入り込んでくる)のである。出会う人みんなについて、そういうことが起こった。それを言葉でいうことはむずかしい。いや、言葉でいうまえに、それが何なのかを理解することもできていないのだ。今すぐに具体的な言葉で定着できるものは何もないけれども、こういうことをずっと続けていけば思わぬ境地が開けてくるかもしれないという気がする。
 思いきりぼんやりゆっくりと、半ばは意識的に放心したような感じを保ちながら、再びエスカレーターで三階へ昇っていく。三階駐車場フロアに着いて、車の方へ歩きだそうとしたとき、ふと思いだした。たしかさっき二階フロアで衣類などを買ったものをいったん車に置いてこようと三階に上ったとき、次は一階で買い物をするのだからと、車を一階駐車場まで降ろしたのではなかったか。そうだった。呆(ほう)けている……
 そう思い出してすぐさま下りのエスカレーターの方へ戻った。〈ぼんやりとゆっくりと〉を意識しながら、目に入ってくる人に意識を向けつつ一階まで降りていった。
 再び一階展示スペースを通るとき、先ほどの男女二人組がまだ作業を続けていた。男性が小走りに走って、手で身振りしながら「ここが出すぎているんですよ!」というのが聞こえた。女性は同じように小走りに走ってついていき、「ここが出過ぎているんですね!」といった。
 そのコーナーを通り抜けて屋外の一階駐車場へ出て車を探し始めた。けれども、適当に歩いて回りながら、どこに車を置いたのだったか、置いた場所の記憶がない。あ、やっぱり三階だった、とそのときまた急に思い当たった。たしかに一階へ車を動かそうと考えた記憶はあるが、実際は動かさなかったのだ、そうしようと思っただけで、そうせずにやめたのだった、たしか……という考えが起こって、また三階駐車場へ向かう。
 三階駐車場に着くと、あるはずの場所に車がなかった。
 えええ???……それじゃあいったいどこに置いたというのだろうか???
 先ほど確かにあったこの場所にそれがないということは、やっぱり一階まで移動したのにちがいない。もう一度一階駐車場へもどる。
 再び一階駐車場に着いて、どこに車を置いたのか頭の中をしきりに手探りしながら、ここまでくるとさすがに余裕を失いつつあせって歩いていく。するとようやくのこと、かすかな記憶の破片が頭で閃いた。
 そう、〝遠い場所でもいい、運動にもなる〟と思いながら駐車場の端の方に車を停めたのだった!
 ということはあそこだ!……

 頭も身体もフラフラ。どうも疲れた。お茶でもしながら、最近買って読み始めたばかりの新書本の続きを読もうかと、スーパーマーケット一階のカフェ・レストランに入った。
 昔から喫茶店でコーヒーを飲みながら本や雑誌を読む時間が一つの至福だった。ちょっとした贅沢。……




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# by mozar | 2017-12-27 19:50 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(1)


   1

「ええっと?」
 私は台所のテーブルのところへ来てから立ち止まる。
「ええっ? いま何をしようとしてここへきたのだったか? 買いものに出かけようと考えたのだったかな? ええっと?……そう、たしか?……ええ?……」
「買いものに?」と私はほとんど声に出して言い、室内を歩いて自分の記憶の中をしきりにのぞき込もうとする。
「なにを買うのだったかな? ええ? なあ~にを買うんだったかな? たしかさっき……う~ん……」
 それを思い出すために、もといた部屋にもどっていく。
「たしか、先ほどまで応接間でパソコンに向かっていた。まあこのへんでやめて買いものにでもいこうかと思って、台所へ向かったのだったか? はて?……」
 出かけようか、どうしようか、出かけるにしても何を買えばいいんだ、と思いさ迷っているところへ、電話の呼び出し音が鳴り響いた。メロディーはショパンのワルツ。どうせまた何かの商品の勧誘だろうか?……急いで小走りに台所へもどって受話器をとる。……
 耳に飛び込んできたのは妻の声だった。
「フミヤらと今ぶどう狩りにきてるけど、これから○○遊園地に行って、夕食は回転寿司にする予定。いっしょに食事する?」
「うん? あ、そうやね……何時ころに行けばいい?」
「夕方五時ころ○○店へ行くからその時刻に来たら?」
「うん、わかった。そうする」
 以前は孫たちがくると、〝おじいちゃん〟もいっしょにぶどう狩りやいちご狩りに同行したり、遊園地やスーパーマーケットなどに出かけたり……そんな一時期があった。
 このごろはおじいちゃんはいっしょにいても仕方ないと思われているのだろうか、お誘いがかからなくなった。おじいちゃんの方でもその方がありがたいと思うところがないでもない。
 高松市に住む長男のフミヤ、嫁のアヤカさん、その子どものヒロト君とスミト君、そして大阪に住む長女のハルミは、娘のキララちゃんとその弟のヒデキ君を連れてくる。以上の顔ぶれに〝おばあちゃん〟が加わって、いつものメンバーが完成する。
 我が家へきたときいつもキララちゃんはまず猫のマーマちゃんのことを気にしていうのだ。
「マーマちゃんはどこ? マーマちゃんはどこにいるの?」
 キララちゃんは目がくりくりして丸いという印象があって、なかなか面白い子だ。ご要望のとおり猫のマーマちゃんを連れてきてあげると、彼女は怖がってしりごみしながらも興味をおさえられない様子である。彼女とほぼ同い年のいとこのヒロト君はというと、終始ネコが煩わしくて怖いらしく、興味も関心も見せないまままったく近づかない。面白半分に猫を近づけてやると逃げまわる感じである。その弟のスミト君はというと、反対にとても猫に興味を感じるらしく、怖がりもしないで平気で近づくし、手で触っては喜んでキャッキャッと声をあげて笑うのだ。
 わが家の猫のマーマちゃんは、一般普通の猫らしく神経質で、慣れない人に対しては人見知りする性格があって、よその人が来ると落ち着かず、いつも隠れて逃げ出そうとする。猫が逃げ出していなくなると、小さなスミト君は、
「マーマちゃんどこ? ねえ、マーマちゃんはいないの?」
 と大人に訴えながら探しに行くのだ。
 そのことはキララちゃんも同様なのだが、彼女の場合は、まだ猫に興味を引かれながら怖がって逃げようとするところがあるのだからおかしい。
 子どもたちはいっしょに遊べることがとても楽しそうで、ボールペンや色鉛筆で紙に絵を描いたり、部屋から部屋へと走り回ったり、仏壇の横の床(とこ)の間に並んで立って、マイクをもったつもりになったりしている。
 前回来たときは、家でおばあちゃんが作った昼食をみんなで食べてから、午後、おばちゃんが何処からか借りてきた餅つき機で餅をつき、それからみんなで握った餅をもって裏山の先山(せんざん)に登ったのだった。といっても車で行って、山頂にあるお寺(千光寺)の階段を二つ登ったというわけ。二つといっても、けっこうハードな階段ではある。
 二つの階段の下に茶屋があって、茶屋の手前の駐車場のところに、片側が谷になっていて急斜面が見下ろせる場所がある。斜面ははるか下の方まで続いていて、大小いろんな木々が斜めになったりしながら生えている。
「ほら、見てみい、すごいガケやでぇ」
 おじいちゃんが一番年長のヒロト君にそれを見せようとすると、ヒロト君は怖がって決して近寄ろうとはしない。
 安全のために簡易な手すりが設けられてあって、父親が冗談半分にその手すりから上半身を乗り出すようにしてみせると、ヒロト君は必死な様相で、
「ダメ! 近寄ったらダメ!」と叫ぶのだった。


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# by mozar | 2017-12-19 23:28 | 小説作品 | Comments(0)

ふるさとの近景―雲が面白くて―


 子どものことから、さまざまな機会に雲に見入ることがよくあった。
 偶然見た雲がそれぞれ、心が形作るいろんな不思議な絵模様をみせてくれて、見飽きないものだった。
 通常雲などには目もくれないでいるだけに、あるとき見るととても不可思議な存在にも思われてくるのだ。こんなものが日々の暮らしの近辺にあったのかと。
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# by mozar | 2017-12-06 23:44 | 田舎の風景、写真 | Comments(0)

創刊のころのころ

 『文芸淡路』は一九九六年十二月に第22号が出た後、長いあいだ休刊状態になっていた。私は北原文雄さんにお誘いをいただいて、第3号から参加して以後第22号まで毎号曲がりなりに作品を出してきた。そうすることができたのは原稿の「締めきり」があったからにちがいない。
 第16号から第22号までは北原洋一郎さんが編集役を務めてくれた。第22号のあと、第23号の発行が遅れ、そこへ一九九八年一月に北原文雄さんの邸宅が火災で焼失するということがあった。順調に続いてきた「文芸淡路」はここにいたって終末を迎えたのだった。
 長い中断があったあと、二〇〇五年一月に北原文雄さんから作品集『葬送』が送られてきた。それに応えて送った感想文のコピーがパソコン内日記に残っていた。
《作品集『葬送』お送りくださりありがとうございます。収録された七つの作品、どれも面白く興味深く読めました。
 やってきては去っていく日常の事柄が、心という多面鏡によってどのように反射されて形ある像を作っていくか、それが目に見えるようです。日常生活のなかで〝心の鏡〟が映し出した像はそれだけでは消えて失われてしまいます。それを材料に〝形ある文章を創るという営み〟が積み重なってこれだけのものが残っていくのだなあという感慨です。
 なかでも最後の「葬送」は力作だと思いました。著名な陶芸家の血を引く妙(たえ)と片桐という、屈折した複雑な心をもつ母親と息子の存在が、作品に独特の陰影を与えていると感じました。》
 パソコン内の日記を検索していると、その後、一年余り経った二〇〇六年六月十二日付けの記事がひっかかってきた。
《朝方十一時前、電話が鳴って受話器を取ると北原文雄さん。何の説明もなく、
「一度会いたい、いつ会えるか……」
 え? いったい何?……もしかしたら同人誌の話か……。
 その日の午後一時半に喫茶〝珈楽粋〟(クラシック)で会うことにした。
 時刻通りに行くと、ちょうど彼の車も到着したところ。会釈を交わし店に入る。
 北原さんはあれこれ〝近況〟を話してくれ、それは目下行き詰っている自分にとっても少なからず刺激的であった。彼は三月にようやく退職し、再就職をすすめられたが断って〝自由の身になった〟という。退職前後のことをあれこれ語ってくれた。
 退職前の数か月、彼はあちらこちらで引き受けた原稿に追われて忙しかった。折しも〝退職記念旅行〟なども重なって、締めきりが危ない状況に陥りながらも何とかかろうじてクリアしたという。
 退職を機に四月から桜前線を追って七週間の旅をした。旅行から帰った後、今は書斎の片付け整理に専念していて、その作業に後数か月はかかりそうだとのこと。
 退職後のライフワークとして、彼はあれこれ迷わずに、江戸時代(天明期)に淡路島で起こった百姓一揆〝縄騒動〟を材料に小説を書きたい、今はそのことにすべてを捧げたいと思う、と熱く語った。資料もいろいろ集めている。四国などの大学の郷土史に詳しい先生などを訪ねて話を聞く機会をもつようにもしている、と。
 そのあとようやく本題に入った。
 退職して時間がとれるようになったので、同人誌活動を再開したい。『文芸淡路』元同人たちにも声をかけてある、と。
 一時間半ほど話して喫茶店を出た。》
 その後新しいメンバーで何度か同人誌の準備会を開いて、二〇〇七年四月に『淡路島文学』の創刊号が出た。十か月に一号の原則で順調に号を重ねて、昨年八月に第12号が出た。その直後に北原さんの訃報。くも膜下出血。ええ~? そんな!……唖然。……
 北原さんはたしか二〇一二年四月から地元の町内会長をしていて、併せて地区の連合会長も務めていた。その後すぐ近くの町内会で会長役が私にも回ってきたとき、北原さんはちょうど二年の任期を終えて町内会活動から解放されるはずだった。これで書くことに専念できる、という思いだろうと私は推察し、彼にねぎらいの言葉を言ったりもした。その後私がはじめて地区連合の会合に出席したとき、意外にも北原さんは後任者がいなくてもう一期二年やることになったという。さらにその二年後にも事情があってあと一年、地区会長役を続けることになり、自動的に市連合の副会長役も引き継いだ。他方彼は淡路文化協会の会長も務めていて、その春先はちょうど文化協会創立四〇周年記念行事も重なって多忙を極める様子だった。彼は事務的な面でもとても有能で几帳面な性分で何事も準備万端整えて当たるところがあった。いくらでもできる人だったから、つい無理が重なったかもしれないとも思うのだ。
 何かのときに彼に言ったことがある。
「ぼくは締め切りがなければ何も書けない。書く材料も決まらないままいよいよもうダメというところまできてから俄然書けはじめる」
 彼は笑った。
「北原さんはいつでもいくらでも書けると言っていたけれど」
「書くことへと自分を追い込んでいく」と彼は答えた。
〝追い込んでいく〟か、なるほど。その後締め切りが近づくといつもこの言葉を思い出している。
 小説「秋彼岸」にこんな一節があった。
「このままでは死ねないよ」と〝妻〟に言われたときの〝庄一〟の心のうちが描写されている。
《――だから、もうすこし長生きするよ――とは、庄一は言えなかった。
 いつお迎えがきても当たり前の年齢になっているというおもいがあった。いままで元気に生きてこられたのが不思議なくらいだった。死ねないよと言われても、やがて死んじゃうよ、もう近いよ。だが、浮き世にはしがらみがあって、やらなくてはならないことがいっぱいあって、苦しいのはこっちのほうだ。庄一は、妻にこんなことは言えなかった。》
 彼自身にも十分にわかっていたのだ。


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# by mozar | 2017-11-29 23:37 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

「淡路島文学」13号 編集後記

『淡路島文学』13号 北原文雄追悼特集号

 編集はもっぱら自分がおこなったので、編集後記も自分が書いた。

 編集後記
▼『淡路島文学』第10号記念号(2014年)の「編集後記」に北原文雄さんは書いた。《淡路島のなかで一冊の文芸同人誌がほしいということで、同人を募って27歳のとき『文芸淡路』を創刊して、22号を発行して終わった。あらためて七年前に、『淡路島文学』を創刊した。無理をしないで発行しようということで、創刊以来、10か月ごとに発行をつづけてきて、第10号記念号の発行となった。まずは予定どおりであったが、あと七年つづけて20号までいけるかどうかとなると、先行き不透明である。》
▼その2年後(2016年)、第12号を出した直後に、北原さんは急逝した。『淡路島文学』は北原さんの熱意と牽引力によってここまで続いてきた。わたしたちはここに〝場所〟を見出し、締めきりを目指して書き、なにがしかの〝書いたもの〟を残すことができたのだった。
▼会の運営・雑誌発行などの事務を一手に引き受けてくれた牽引者を失って、今後どうするか。北原さんに代わってだれが牽引役を引き受けるのか。このところ若い人たちも加入したことだから、書く場所を確保・提供するためにもとにかく続けてみようということになり、ここに第13号北原文雄追悼特集号を出すことができる運びとなったことをまずは喜びとしたい。
▼生前故人と親交・面識のあった方々に追悼エッセイをお願いしたところ多数(30件)の原稿が届きました。ありがとうございました。寄せられたメッセージはきっと故人にも届くことでしょう。
▼今号は11人の同人の文章を掲載することができた。創刊から10年あまり、当初の主要な書き手が何人も去りながら、入れ替わって新しく加入した人たちがあって、今も一定の作品が集まっている。作品が集まるかぎり本誌は続けられるのではないか。とりあえずは肩ひじ張ることなく、自然体で続けてみようと思うところ。
▼本誌創刊以来の同人であった北原洋一郎さんが昨年亡くなった。洋一郎さんは『文芸淡路』以来の会員で、淡路で名を知られた歌人や俳人の伝記などにも深く関心を寄せてこられたようで、「川端千枝伝ノート」(『文芸淡路』)、「髙田蝶衣十話」「続十話」(『潮騒』)など、貴重な記録を記し留められた。『淡路島文学』では5号に「曇り のち……」という、彼としては珍しく〝小説風〟の作品を書いて合評会で好評を得たが、それを最後に作品を出されなくなった。ご冥福をお祈りします。


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# by mozar | 2017-11-25 02:16 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

『淡路島文学』第13号 10月20日発行

 10月19日に印刷所から電話があって、雑誌『淡路島文学』第13号が刷り上がったと。
 さっそく受け取りにいった。
 北原文雄追悼特集号というだけに、226ページと分厚くて、これまでの最高ページ数。
 通常の同人だけの作品のページ数は145ページ。前号(第12号)の152ページよりも薄くなる。
 今回高齢で入院手術を受けたり諸種の事情で書けなかった同人もあった。
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# by mozar | 2017-11-11 21:59 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

淡路島文学第13号(北原文雄追悼特集号)編集作業終了

 9月末にようやく第2校修正版を印刷所に持ち込む。
 発行日は10月20日。後は本ができあがってくるのを待つだけ。

 経費を最小限にするために、持ち込み原稿はパソコンファイル(一太郎形式)一つ。
 220ページ余りの本を一つのファイルにするには、けっこう気を遣う。
 大切な作品にとんでもない間違いが生じたら、筆者に申し訳ないという思いがあるのだ。
 同人の原稿は電子ファイルで届き、校正も同人自身が行うので、間違いがあったら、自己責任とすることができる。
 今回は、同人以外の外部原稿が30件届いている。生前故人と関わりのあった人たちに追悼原稿(エッセイ)を依頼したのだ。それについては、手書きかワープロ打ちの原稿が届き、それを編集者(自分)がパソコンに打ち込む作業が必要である。ワープロ打ち原稿は、手間を省くためにスキャナで読み込んで、OCR処理して文字情報に変換する。最近はOCR処理がずいぶん正確になっているものの、とんでもない誤読が生じる。「ヨーロッパ」が「ヨーロッハ」になったり、「ちょっと」が「ちょつと」になったり、「訃報」が「計報」になったり。
 その誤りをを全部発見して訂正するのはなかなかである。何度か見直してもまだ新たなミスが発見されることよくある。
 原稿を寄せていただいた人はみな日頃から各々の社会で「文章で生きてきた」人たちなので、それ相応の敬意を払う必要があると感じるのだ。
 しかし、できるかぎり気をつけるにしても限りがある。今は「えいや」とばかりに見限って、間違いがあればごめんなさいと覚悟するしかない。
 9月末に最終校を終えて、今は雑誌現品が到着するのを待つだけである。
 今苦慮しているのは、配本の仕方である。同人への配本もあるが、これまで北原さんは、報道関係や同人誌批評サイト関係や、全国各地の同人誌発行者など、かなりの数を贈呈してきていたようで、その送本作業をどうするか、またその送付文をどうするかという問題。
 当面、決めなければならないのはそのことである。自分一人の独断で行えるのならそれも楽だが、共同編集人となっている松下氏、発行人の三根先生の意向も無視できないだろう。
 発行まであと1週間あまりあるから、そのことをどうするか考えることだ。



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# by mozar | 2017-10-09 21:36 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

『淡路島文学』第13号の編集作業

 昨年(2016年)8月25日にわれらの同人誌『淡路島文学』第12号発行。
 発行後まもなく(9月14日に)北原氏の急逝の報せが同人の1人から電話であった。くも膜下出血……唖然……
 北原氏は、長年勤めた県立高校教職を退職したのを機に本誌を立ち上げて、創刊以来ずっと編集発行作業を牽引してきた。
 記憶がはっきりしないが、この報せを聞いた前日だったか、実は、洲本の街中を車で通りながら、街路に北原さん(あるいはよく似た人?)を見かけ、あれ? 北原さんではないか? 別人かも知れないけれども、よく似ているな、と思いながら、追い越していった。
 洲本のイオン店から弁天さんのほうへ通じる道の途中で、車で通りすぎながら、その道を歩いて弁天さん(厳島神社)のほうへ向かう男性を見かけた。北原さんに似ているな、いや彼その人ではないか、と自分は何となく思った。最近は町内会関係の諸役があって、いろいろ大変なことは見ていたことだし、非常に几帳面な人だったが、多忙のなかでかなり麻痺しているところもあると見受けられるところがあった。この日たまたま見かけたこの人物も、たしかに北原さんに酷似していたけれども、ひどく弱っているような印象を受けた。
 記憶ではたしかメガネをかけていて(彼は通常メガネをかけなかったと記憶するが)、最近はメガネをカケルこともあったようなのだ(本当?)。
 北原さんの訃報を聞いたのはそんなことがあって間もなくだった。
 
 同人の1人、北原さんと同じ町内に住む同人誌のメンバーのU※※さんから電話がかかってきた。
 自分にとっては、北原さんは文芸同人雑誌の同人である前に、地域の町内会の地区連合仕切り役だった。彼はそちらのほうで、重要な役を引き受けていて、彼が欠けたなら、町内会地区連合の後継者を選ばなければならない。その役が当方に回ってくる可能性がある。それはできる限りさけたい……結局それは避けられたのだったが……

 10年間、10か月に1冊のペースで順調に発行されてきた。

 この同人誌発行を牽引してくれたのが北原文雄氏で、彼は2006年、多忙を極める県立高校の教師を退職してから、地元淡路島で、ぜひ同人誌活動を再開したいと、「書きたいと思っている仲間」を集って、『淡路島文学』創刊にこぎつけたのだった。

 (こう記すうちに、午前4時になってしまった。もう寝ないとまずい。明朝は人がくることになっている。とりあえず、仮「掲上」しておこう。そのうちまた適当な形に書き換えることができるはず。)
 




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# by mozar | 2017-09-24 04:10 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

肩肘張らず「気軽に」発信しようという考えに

 実のところ、4月から町内会長役から自由になって、気楽になれるはずだった。
 町内会長役をT氏が引き受けてくれるという提案を受けて(まさに取引き)、「渡りに船」とばかりに、寺総代という役を受けたのだった。
 というのもそのとき、T氏のもとに寺総代役が持ち込まれていて、T氏は町内会長も経験しない身では、と固持していた。それで彼から自分のほうへ、町内会長を引き受けるから、寺総代を引き受けてくれないかと打診があった。それに当方は、町内会長を退けるならと喜んでと、乗った。
 その寺総代役が、本年になって、自分にとってとんでもない重荷として被さっている。
 いろいろ騒動があった後、住職が意欲的な若い人に代わって、高野山への参拝行事などをはじめた。それには一定の数の参加者を集める必要がある。
 上内膳は3町からなり、里からは参加者が4人しかなかった。尾筋、大森谷はそれぞれ12人以上集めたようだ。自分にはとてもそれ以上集める事が出来ない……若い住職にそのことを申し訳ないと報告する。
 この行事は毎年計画すると住職が宣言している。
 来年はもっと参加者の確保が困難になり、里は今年よりも少なくなる可能性がある。
 それを思うと、不安と苦しみが高まるばかり。





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# by mozar | 2017-09-14 23:54 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

『淡路島文学』第13号の編集作業

『淡路島文学』は、2007年4月に創刊号が出たあと、もっぱら北原文雄さんの主導により、昨年(2016年8月)第12号を発行するまで順調に続いた。
 12号発行の直後、同人誌発行を牽引してきた北原文雄さんがくも膜下出血により急逝。
 北原さんのあとを引き継いで、発行事務を続けていく人がいるだろうか。
 いよいよ当誌も今回で終わりではないかと自分などは懸念した。
 とりあえずは続けてみようという意見が優勢で、それではいったい誰が編集・発行の事務を引き受けるのか。
 当然のこと、自分のほうへと役割が回ってくる。自分は北原さんのような真似はとてもできない。編集作業ならこれまでにも手伝ってきたのでできるが、会を主導する役割は……と、注文をつけた。
 北原さんのお通夜と葬儀は昨年9月に行われたが、実に驚くべき数の人々が参集した。
 会場の駐車場からあふれた車が、駐車場裏の狭い通路にずらりと並んで駐車することになった。
 その少し前にわがやの隣のMさんの葬儀が同じ会場であったとき、人数が葬儀会場に収まりきれずに、あふれた人々が廊下やロビーに並んでいて驚いた。
 このたびの北原さんの場合は、それにさらに大幅に輪をかけた人々が葬儀に参列してきたようで、彼が係わってきた人々の数の多さ、その範囲や規模の大きさをいかんなく偲ばせた。

 『淡路島文学』第13号には、同人の原稿募集はもとより、北原文雄追悼特集号として、故人と親しかった同人外の人にも、短い「追悼文」を依頼した。
 その追悼文が30件も届いた。結果として220ページを超える大部の冊子に。

 今回は追悼号で特別。

 発行予定日は10月20日。今はひたすら校正(初稿)を待つ身である。
 ほかに一つ重い悩み(重荷)を抱える身である、そんな状況のなかで、編集発行などは、気苦労があっても本当は気楽で楽しい苦役なのだけれども。










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# by mozar | 2017-09-14 01:00 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

ありし日の風景 ――我が家の生き物たち――

こんな画像――


 猫のネネちゃんです―― 
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  猫のムサシです――

 
      窓の外に何があるのかな? 

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 犬のユキちゃんです~

   毛色の白い柴犬のユキちゃん
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   幼少期の
ユキちゃん
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 ある時期にはこんな光景も

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    こんな光景も見られました。

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# by mozar | 2017-02-21 01:59 | 田舎の風景、写真 | Comments(0)

冬眠(?)する青大将

 昨年末に、暮れもおし迫って、ようやく家の橫の溝の掃除を始めました。
 ずっと片づけようと思いながら、忙しさを口実についずるずると取りかからないできました。
 片付けることはほかにもいろいろあって、あれこれあるのを意識しながら、どれにも手をつけないままついダラダラと過ぎてきたということもあります。
 溝掃除というのは、びっしりと一面に伸びて茂ったた草を取り除くことです。
 溝といっても、農業用の水路で、普段は水がほとんど流れていません。
 溝の橫は田んぼで、伸びていく草を見るたびに、伸びないうちに早めに片づけようと思い思いしていたのです。そのうちに草はずいぶん背も高くなり、いよいよ片づけようと思いながら、それでも取りかからないで年末になってしまったのです。
 冬が近づくと、草が枯れておりました。隣の田の持ち主が、何かのついでに見かねて除草剤を散布してくれたようです。
 おかげで相当伸びた草が簡単に引き抜けました。枯れていなかったら根に泥が大量についてくるので、運ぶのも大変なのです。
 溝の底の枯れた草をずっと引いていくと、こんなものに出会いました。
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 ええ? バッタ? 12月も終わりに近い時期で、色もあせていて、ひ弱な感じで、人が近づいても動きません。たしかにこの冬は寒さ厳しいときもありましたが、昔の12月に比べると、そう厳しくもないようです。
 さらに進んでいくと、抜いた草の下にこんなのがいました。
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 こちらもひ弱に色あせていて、まったく動く気配もありません。
 さらに草を取り除いてみると、蛇は水路の底に取り残されてしばらく動きませんでしたが、やがて水路の橫のコンクリートを登りはじめ、田んぼの草の上に落ち着きました。
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 思案した末に、草ごともちあげて元の溝にもどし、枯れ草でその上を軽く覆いました。
 溝のその部分だけ、草が残った形です。
 さて、その後どうなったことか。


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# by mozar | 2017-01-30 21:25 | 田舎の風景、写真 | Comments(0)

K※※君がなくなった(学生時代からの朋友)……

 以前からよくなかったのだ。いろいろ書くことはあるだろうが、落ちついて書く余裕がない。
 今はとりあえず、日記からのコピー記事を掲載。

 12月11日(日)日記から
法事に出かける前に電話3件

 町内会長をしていると、電話や玄関のチャイムが鳴るたびにとても不吉でイヤな予感がする。たいていの場合何でもないこと(たとえば押し売りの類とか)で終わるのだが。……

K※※君が亡くなった

 電話に出たとき、受話器の持ち方が悪かったのか? 相手の声が小さくてほとんど聞こえない。一瞬これは困ったと戸惑っていると、「主人が亡くなって、葬儀も終えて……」という女性の言葉。「え? どちら様ですか」「K※※の……」という言葉が耳に入った。

 え? K※※君……

 その言葉を耳にするとただちに事情が知れた。何と言っていいのか、とっさに言葉が浮かばない。

「あ、そうですか。それはどうも」という程度のことばしか。

 自分はいろいろな事態にいつもこういう言葉足らずで不十分で失礼に当たるかもしれない対応を繰り返してきたのだ。

 K※※君が亡くなったことで、香典などどうすべきか、自分ながらよくわからない。大学時代からの親しい友人なのだから(最近までも会う機会があった)、香典くらいしないのは冷たすぎるのではないか。しかし、香典といっても幾らしたらいいのか、どういう形ですればいいのか。……

 K※※君は先日「淡路路島文学第12号」を送ったとき、とても好意的な(励ましを含んだ)提言文を寄せてくれた。その文面には同時に近来の彼の深刻な病状(極めて苦しい状態)を(苦笑を装いながら)率直に記していて、死亡の報せがあったとしても不思議ではない状況だった

 その後繰り返しK※※君のことを思った。

今年は9月に隣家のMYさんが亡くなり、相次いで文学同人誌「淡路島文学」仲間の北原文雄氏も(まさかの突然に)亡くなった。その直後同人誌を京都のK※※君に送ったが、北原氏の遺志を継ぐためにも同人誌を続けるべきだという励ましのハガキをK※※君からいただいたばかり。

 そのK※※君の訃報がいま12月に届いた、というわけだ。


淡路島文学、松下氏からの電話

 K※※君の奥さんから電話があった少しあとまた電話がかかってきた。何だろうと出ると、淡路島文学の松下氏。

 年末に打ち合わせ会をするといっていたが、忙しくてできなくなった、年明けに新年会をしたい、と。

 先日の例会で「淡路島文学」の事務を当方が引き受けるべきところ、現役の高校教師で多忙な松下氏に押し付ける形になった。それに後ろめたさもある。


 考えてみると、2016年は、北原文雄さん、K※※君を失った。長い間文学の上で個人的にも関わってきた友で、今思うと自分にとってどちらもとても重大な存在だった。そのことを痛感するところ。

 



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# by mozar | 2016-12-31 22:25 | 雑件いろいろ | Comments(0)

夕暮れの雲(2)

   夕暮れの雲(2)

 エル市のスーパーマーケットで夕食用の食品などを買って駐車場のところへもどってきたとき、後ろから名前を呼ばれた。
「コンノさん」
 ふり返ると、元同僚の女性ナミカワさん。すぐ近くにあった軽トラックの運転席から同行らしい男性が出てくるところで、どうやらご主人のようだ。彼女は僕よりも二年ほど早くエルエムエヌ社を定年で退職した。それ以来の出会いだった。彼女は当時庶務を担当していて、在勤中はいろいろ接点があって、言葉を交わすことも多かった。ざっくばらん、ちょっと八方破れの性分の女性で、話しやすかった。
 エル市のこのスーパーは、僕の住む町からも彼女の住む町からもかなり離れていて、どちらにとっても日常生活圏外。僕は用があって来た帰りに、以前ときどき入ったことのある店に寄ってみたのだった。店の一角に回転寿司屋があっておいしいという妻の好みで、ある時期家族で遠路よく出かけてきたものだった。わが家の近所にも同じ系統の回転寿司屋があったが、そちらについて妻の評価はよくなかった。あのころは子どもたちもまだ小学生や中学生だったし、自分も妻もまだ若かった。
「久しぶりやな。こんなところで出あうとは?」と僕。
「新聞広告見て、ここの店が安売りしとったから出かけてきたんよ」とナミカワさん。「このごろは新聞のビラを見てなるべく安い店を回るんよ。コンノさん、見たところお元気そうで。毎日どないしとるで?」
 どう答えたものか? ちょっと考えてから、とっさに、
「ああ、まあ、ボツボツやな」
「仕事のほうは?」とナミカワさん。
「仕事はしとらん。退職してからブラブラや。うちは奥さんが働いてくれとるからな。ナミカワさんも元気そうで。なるほどそうか。車があったら、けっこう遠くまで買い物に行けるもね」
 そういえば、最近は自分も毎日の食料品を買うときなどに、ずいぶん値段に敏感になっていることに気づくのである。以前はどこのスーパーでも同じだろう、多少のちがいはあってもたいした差はないはずと考えて、とくに気にしていなかった。いちいち値段を考えてあれこれ比較するのは面倒だし、そんなことに細かく目配りするのは笑いもの、という思いもあった。
 ところが近年はなるべく安いものを探し、似たようなものが陳列棚に並んでいると、必ず安い方を選ぶ自分を見出すのである。AスーパーとBスーパーで豆腐やうどんや食パンの値段がちがっているのに気がつくと、あ、ここのうどんは四十八円。Aスーパーはたしか三十八円だった。うどんはなるべくAスーパーで買おう。一度安い値段を知ってしまえば、高い方を買ったら損するような気になるのである。そのうちある日気がつくとBスーパーのうどんも三十八円になっていた。こういうありさまではデフレが続くのももっともだ。安いのは消費者にはいいことだが、値下げ競争になると、企業にとってはどうなんだろうか、と考えたりする。企業は従業員をかかえていて、給料が目減りするのではないか。雇用が厳しくなるのではないか。消費者の主な部分は、給与で生活する人たちであるのだから。
 実のところ経済のことはまったくの素人でわからない。ただ、退職してからわからないながらに経済のことにも興味を感じるようになった。テレビのニュースや報道番組で経済の話がでてくると、興味を惹かれて、かじりつきで見るようにもなった。書店で経済についての本を見かけて、発作的に買ってしまうことも多くなった。読むと分からないながらに「なるほどなるほど」と思うところもあってそれなりにとても面白い。その面白さはまあ娯楽といっていい程度のものにすぎないもので、基本的な知識がないので、いろんな主張に刺激されて右往左往しながら、すぐに忘れてしまう性質のものなのだ。
 若いころは経済など見向きもしなかった。もっぱら文学に関心を向け続けてきた。これが進化であるのか、退化であるのか、という点になると、何ともいえない。
 片田舎のわが町にも大型の店舗が次々できて、手軽に車で行ける圏内にスーパーが五店舗もある。買いものはたしかに安くて便利になった。その分昔からあった小売り商店がいくつも消えていった。ナミカワさんの住む村はわが町よりは田舎で大型店が一つしかない。そういう村の店は、厳しい競争がない分、品物の値段も比較的安くなっていないのかもしれない?
 最近は、経済のグローバル化の影響か、ものが実に安く買えるようになった。何か必要な品物があればまず百円ショップにいくのだ。百円ショップだけではない。田舎の町でもいろんな種類のドラッグストア、大型の店舗が各地に次々とできている。人々は格安で買えるという評判の店を選んで買い物をする。
 僕はふと思い出してナミカワさんにいった。
「納豆が一つもなかったよ。納豆のコーナーに豆腐ばかりいっぱい置いてあって」
「ああ、このまえテレビであったな」とナミカワさん。「納豆食べたらやせるとか健康になるとかいう番組。あれから納豆が店にのうなってしもて。いつかもココアが店からきえたことがあったけど、あれとおんなじやな」とナミカワさんは笑って、向こうで待っているご主人の方へ目をやりながら、「あ、それじゃまた。買いものしてくるわ」

 正月明けのテレビ番組で、納豆の効用と食べ方が紹介された翌日から、納豆が店頭から消えてしまった。一日二パック、朝と夕方に食べると、二週間で体重を減らせるだけでなく、血管の若返りにも効果てきめん。中性脂肪を燃やす効果がある。DHEA、イソフラボン、ポリアミンとか。……
 何日か前にも、納豆を求めてAスーパーへ行った。いつもの納豆コーナーは豆腐で満たされていた。朝方は買えるが、昼になるともう納豆はないようだった。
 多分、午後の四時頃にもう一度補充されるのではないかとにらんで、その時刻にAスーパーにいくとはたしてあった。
「一人二束、六パックまでにしてください」と繰り返しスピーカーの声が言っている。それで控えめに一束(三パック)を買い物かごに入れて、それだけでは納豆目当てに来たことが見え見えなので、ついでにハムとちくわと食パンとソーセージを買い物かごに入れた。
 それから近くのBスーパーでも納豆を買おうともくろんでいくと、納豆はなく豆腐ばかり。ついで少し離れたCスーパーへ行ってみたがそこでもまったく同じだった。それで、もうなくなっているかもしれないと思いながらもう一度Aスーパーにもどってみると、まだ少しあった。今度は納豆二束を買い物かごに入れて、ついでにまたジュースとかチョコレートとかを買うはめになった。
 このところ歯が一、二本ぐらついていて、納豆さえも固いと感じる状態。食べると歯が折れそうな気がする。納豆は学生時代に知ってから嫌いでなかった。納豆を朝と夕に一パックずつ食べ始めてから効果が出てきたのか、たまたまほかの理由でそうなったのか、日一日と少しずつ体重が減ってきたのは事実。この二日間、納豆を買いそびれて摂取を欠かしていた。

 いつかも居間でだらだらしながら、前日にタイマー録画したテレビ番組を見ていたのだった。家森幸男さんという名の知られた予防栄養学者が長年にわたり世界各地で調査研究を重ねてきた結果、人間の長寿についていろんなことがわかってきた。中でも長寿・低血圧の中国貴陽の食生活のことが話題に。
 貴陽市は石灰岩などのカルスト地形で稲作には向かない土地柄で昔から大豆やトウモロコシを主食としてきた。日本の豆腐の原産地ともいわれ、様々な大豆食品を日常的にいろんな形で食してきた。大豆の加工食品も豊富。豆腐を野菜といためる料理、セロリ入りの麻婆豆腐、厚揚げのような焼き豆腐など、大豆を日常的にふんだんに食べる食文化がある。日本と同じような糸引き納豆まであったということだ。
 そんな話の中で、番組では納豆に焦点があてられ、一日朝夕二パックというおすすめがあり、司会者の話術が強力で巧みだったせいもあるのか、視聴者の心に深く印象づけられ、町のスーパーから納豆が消えるという事態が生じたのだった。

 夕方、車で帰宅するとき、西の空にとても太い雲が二筋横に長く続いていた。あんなに長く太くまっすぐに横に続く雲は珍しい。低い山に沿ってずうっと伸びていて巨魁という感じだった。雲と山とのすき間にわずかに薄色の夕焼け空がのぞいていて、長い二筋の上にも一つ雲の塊があって、全体として北から南へと少しずつ動いていた。このところ寒くなったり暖かくなったりしながら冬が通り過ぎていく。今日は暖かく風も少なくていい天気だったな、だけど北から南へと濃い黒みを帯びた大きな雲が動いているのは、大陸からまた寒気が運ばれているのだろうかとも思われるのである。
 西の方には比較的低い山並みがある。西から北のほうへ目を転じると、そこは見事な山峡(やまかい)になっていて、北の高い山の裏側にある村へと峠越えの道が続いている。むかし山の向こうの村からわれわれの町の高校まで、峠をバスや自転車で通ってくる生徒たちがあった。自分も何度か自転車で坂道を越えトンネルをくぐって、その村まで行ったことがあった。下から見るとその部分が大きな湾状になっていて、夏になると、夕日が周りの空を染めながら、ちょうどその湾に沈むのだ。近景には土手や小工場の古びた建屋や民家などが見え、向こうには丘の茂みがいくつか連なっている。
 何でもないことだが、日々目にはいる周囲の風景が珍しいものに感じられる。たとえば車を運転しながら道路を進むとき、前方に電柱が並んでいる。電線がずうっと通っている。ところどころに樹木の茂みがある。家がある。そんなごくありふれた光景までが視覚の喜びとなるのだ。
 ずっと遠くの山や空からすぐ近くの家や道路までのあいだに、いろんな遠さでいろんなものたちがある。この空間の広がり。ずっと遠くからすぐ近くまで。〈見える〉ということはなんと素晴らしいことだろうかとつくづく感じるのである。
〈見える〉ということは、目を通して外界から入ってくる光の刺激を脳神経組織が自動的に処理して、見事な立体像を作りあげているわけだ。自分の中には今のところまだその力がある。今のところまだ自分は〈見る〉ことができる。その意識自体に歓びの源泉があるのかもしれない。  
                        (了)

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# by mozar | 2016-10-15 00:31 | 小説作品 | Comments(0)

夕暮れの雲(1)


 夕暮れの雲 (1)

    (平成28年8月、同人誌「淡路島文学第12号」掲載作品)

 今朝方目が覚めたのは七時半くらいだったか。起床は七時五十五分くらいだったと記憶する。
 昨日遠山家のお爺さんが亡くなったという報せが電話であって、葬式は明日だという。八十歳台半ばを超えていて高齢だった。二年ほどまえにお爺さんが運転していた軽トラックが塀に激突して、助手席に乗っていたおばあさんが亡くなった。お爺さんは命をとりとめたが大けがしていて大変な有様で、もう助からないだろうといわれながら奇跡的に助かった。
 昨年おばあさんの三回忌法要があったとき、おじいさんは見たところ思いのほか元気そうだった。当方に気づかいをみせて話しかけてくれたりもした。
 遠山家は昔ながらの農家で、お爺さんの息子は長年地元の大手家電店に勤務して、つい最近定年退職したばかり。

 今朝方起きてからすぐにまずパソコンに向かった。とりあえずインーネット閲覧にとりかかったものの、睡眠不足のせいもあってすぐに頭が疲弊してきて(いつものパターン)、再びベッドに横になって頭を休めることに。どうもこのところ何となく気分がよくない。アルコールを減らさなくてはいけないのではないか。いつも真夜中に飲み始めて、朝目が覚めたときには、いつベッドに入ったのかまったく思い出せないのだ。
 若いころは酒が飲めない体質で、コンパのときなどビールを少し飲んだだけで気分がどうしようもなく悪くなって、苦しんだ末に吐くこともよくあった。年を重ねるにつれて少しずつ飲めるようになり、酒を買ってきて家で飲むようにもなった。やがて、いつからか、一杯目を飲んでも酔いが感じられなくなって二杯目を飲む。二杯目でももの足りなくて三杯目に行く、ということになった。。
 家族は心配ごころから、常習的にお酒を飲み続けると〈脳細胞が破壊〉されて認知症になるからやめるようにと言う。日常生活の上で僕がちょっとした失敗をすると、「ほら認知症が進んできた、最近ほんとうにおかしいよ」と言いたてる。いずれ遠くない将来に認知症の家族を抱えた場合どんな大変な負担が生じてくるか、本気で心配しているのである。

 このところは自分でも、飲む量をセーブしようという考えから、一気に酔わなくてもいい、少しずつでいいと自制するようになっていて、物足りない感じはあるものの量はたしかに減っている。朝目覚めたときの感じからもそのことがわかる。
 不思議なことに自分の場合、飲む時間は夜中の十一時ころからの時間帯に限られていて、朝も昼も夕方の時間も飲みたくならない。まさにパブロフの犬で、夕方テレビを見て本や新聞を読んだりしたあと、入浴をすませ食器洗いを終えて、真夜中がきてパソコンに向かおうかという時間帯になると、俄然飲みたくなるのである。酒の味そのものはどちらかというと不味いといってもいいかもしれない。ただ酔い心地がいいのだ。朝になって起きてみると、何杯目かの焼酎の水割りコップが飲まれないまま机の上に残っていて、いつ寐たのかまったく記憶がない。それでも最近は飲む量はずいぶん減っている。といっても健康にとって可とされる量より多いことにはちがいない。

 えーと? 何の話だったっけ? そうだ。遠山家の爺さんの法事の話だった。どうして酒の話になったのだろう?
 自分の毎日の思いや行動には、ずいぶん出まかせで場当たりなところがあるのではないか、という感じを普段からもっていて、それで、試みに今朝方の自分の行動をあとでふり返ってパソコンでメモしてみた。そうすると、自分の日ごろの行動パターンや、思っているほど理性的ではない姿が、目に見えてくる思いになった。その場その場で行き当たりばったりに脈絡なく頭に浮かんだことを次々と行っていく。何かをやり始めながら、たまたま目の前に現れたものを追いかけて、直前にやろうとしたことをすっかり忘れる。

 パソコンのメモ。《今朝方目が覚めて起きて、パソコンに向かってインターネットで最新の世界のニュース記事などをあれこれ閲覧チェックするうちに、睡眠不足感が残っていることもあって気分がよくない。もう一度ベッドに戻って少し寐た。十五分ていどでやや頭が落ちついたので再び起きる。明日法事に行く準備をしておかなくては。喪服、カッターシャツ、ネクタイはどこにあるのか。確かめておかなくては。

 まずは、とりあえず、カッターシャツを自室の衣服ケースの引き出しからとりだす。いつか洗濯してそのまま引き出しに入れてシワだらけのまま。アイロンをかけなくては。台所へ行って押し入れからアイロンをとり出し、隣の居間へもっていって、アイロンのコード(プラグ)をコンセントに差し込む。アイロンが熱くなるまでしばし時間がかかる。そこで喪服はたしか二階の洋服ダンスにかかっているはず、と階段をあがって二階に向かう。二階に喪服はなかった。はて?…… あ? そうか。離れ座敷の古い洋ダンスだ。以前それを〈離れ〉へ運んで、せっかくだからそこにも衣類を保管することにしたのだった。

〈離れ〉の洋ダンスにも喪服はなかった。おやおや? どうしたのか? ちょっとパニック……、場合によっては新しいのを買わなくてはいけないかという考えが頭にひらめく……

〈離れ〉をたち去るとき、そこの入り口付近にある灯油タンクが目についた。予備の灯油をそこに保管してあるのだ。あ、勝手口の灯油タンクが空になっていた。補てんしなくては。これまで何度かそうしようと思いながらそのままになっていた。
〈離れ〉から灯油タンクを下げて家の勝手口にもどり、空になったタンクと置き替える。空のタンクはとりあえず横に置いておいてついでのときに片付けよう。あ、そういえばたしか昨夜家族が台所のストーブの灯油が切れたといっていた。さっそくそのストーブの油タンクを取り出してきて補給する。

 そのとき一つ買い物を思いついた。品切れになっていてぜひメモしておかなくてはと思う。どんなに明白なものでもメモしないとすぐに忘れるのだ。しかしメモ用の手帳はここにない。いつもポケットに入れておかなければと思っているのに。手帳をとりに自分の部屋の方へ行く。その途中廊下でもう一つの買い物を思いついた。これもぜひメモしようと肝に銘じつつ、玄関横を通るとき、下駄箱の上に置いてある書類が目に入った。郵便を受け取っていずれ処理しようと思ってとりあえずそこに置いて、その後何度も目にしながらそのまま過ぎてきたものだ。なんだったっけ? 確かめようと拾いあげてみる。介護保険料の納付書。いつか外出するときもって出ようと思って置いたままになっていた。見ると納期限が過ぎている。といってもあわてることはない、直接市役所窓口で払えばいいのだ。納付書をもとの位置に置き戻し、それから自分の部屋へ入ると、パソコンの横に手帳があった。買いものメモを記そうと思ったが何を買うのだったか思い出せない。二つあった。たしか……食料品だったか……日常的なごくありふれた何かだったはず……醤油でもない、マヨネーズでもない、たまごでもない……ティッシュペーパー?……ちがう……はて? 何だったか……いくら思いめぐらせてみても思い出すすべはない……

 まあいいか、そのうちに思い出すだろうとあきらめて、手帳をジャンパーのポケットに入れて自室書斎を出ようとしたとき、片隅の壁にかかっている服が目に入った。あ、喪服。こんなところにあったのか。肩や袖のあたりにほこりがつもっている。黒いネクタイもいっしょにあった。

 アイロンが居間でつけっぱなしだったことを思い出して、急いで居間へ行く。アイロンは熱くなっていた。が、特に問題はない。カッターシャツにアイロンをかける。こちらはけっこううまく行った。
 アイロンをかけ終わったとき、玄関のブザーが鳴って近所の町田さんの奥さんが回覧板をもってきた。回覧板を受けとって、町田さんが立ち去ったあと、玄関周辺に溜まっている木の枝や葉っぱ(風に吹き寄せられてくるのだ)が目についた。片づけなければと普段からいつも思っているものだ。
 そこで、少々ゴミ類を片付けようと、玄関のサンダルをはいて箕(み)かごをとりに裏庭の方へ回る。と、干しかけていた洗濯物のカゴが目についた。あ、そうだ。今朝方洗濯を干そうと裏庭に出て干すうちに、何だったかほかのことを思いついて、物干し作業を中断して、そのままになっていたのだった。

 洗濯干しを片付けたあと、裏の勝手口から家に入ってサンダルを脱いだとき、「おや?」と思う。玄関のサンダルだ。いったい何をしようと思って、玄関から裏まで来たのだったか? そうだ。玄関のごみを片づけようとして、箕かごをとりに裏まで回って来たのだった。……そこで再び裏庭にでて箕かごをとって玄関にもどることに。……》
 あれやこれやとパニック状態になって動き回った。すぐに忘れてしまい思いだすことさえできないものになってしまうありふれたこと、記す意味もないつまらないことばかり。

 日頃から文章を書くのは困難でやっかいなことという思いがあって、いつも書き出すことができないでいるのだが、いざ書き出して、思い出しながら逐一記してみると、短時間の中でこんなに沢山のことをしたのだということにわれながら驚く。実に豊富といってもいいほどのことではないか。
 こんなことを記す気になったのは日頃から日常の自分の心の動きや行動の実態を確かめて見たいという気があるためだ。

 いつか、〈片づけられない女〉として悩んでいる女性が書いた手記を読んで面白いと思ったことがあった。彼女はかなり重症で専門医にかかっていて、「注意欠陥障害」(ADD)という立派な病名をもらっていた。〈片付けられない症候群〉。それを読んだとき、僕は、なるほど自分の場合ととても似ている、これは病気なのか、と大変興味をおぼえた。自分をそういう視点から観察してみようと思うようにもなったのだった。
(つづく)

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# by mozar | 2016-10-12 01:50 | 小説作品 | Comments(0)