老人会・町内会の日帰り小旅行(1)
この秋、地区の老人会連合会、地区連合町内会の行事で、観劇を経験する機会が続いた。
9月には神戸の「新開地劇場」、11月には大阪の「箕面劇場」
もともと引っ込み思案の性分で、好き好んで参加するのではないが、地域社会のつきあいで、なるべく断らないようにしようと思っているのだ。参加することにそれほど抵抗感がなくなっていることに、自分ながら驚きを感じる。昔は出嫌いだったはずの自分だが。
過去に自分も経験した町内会長・老人会長の立場がよくわかるから、彼らの求めにはなるだけ応じようという考えでいることもある。
となりの町内のTさん(自分と同年生まれで76歳になる)もつきあいがいいようで、地域のいろんな行事があるたびに毎度顔が見られる。
「次の〈日がえり旅行〉は参加するの?」ときくと、
「元気でいられる間はできるかぎり参加しようと思っている」と積極的な感じ。
そういうことは別として、町内会等の日帰りの旅行で、観劇を経験したのは久し振りだった。
9月は神戸の「新開地劇場」
昔、神戸の〈新開地〉へ行った記憶があるが、何のために行ったのか、行って何をしたのか、演劇を見たのか、宴会だったのか、団体の行事で行ったのか、単に友達と飲みに行ったのか、思い出せない。個人的に自分一人で来たとは思えない。
旅行業者のマイクロバスで神戸新開地に到着。
実に久し振りの(というよりもほとんど記憶からも消えてしまった)〈懐かしい〉新開地。
若い頃、神戸に住んでいたことがあった。職場が元町駅近くにあった。
あるいは新開地が近い湊川の職員住宅に住んだこともあった。
「昔何度か来たことがあるけど、何をするためにきたのか思い出せない」
劇場に向かって群れをなして歩くなかで、ぼくは近くにいたCさんに言った。
「新開地劇場」では、歌謡ショウあり、演劇あり、また歌謡ショウあり、延々3時間ほども座席に座っていた。老人会の会員の身にはちょっと過酷で、尻が痛くなり、早く終わって欲しいという思いだった。
たしかに時間が長すぎたのは問題だった。もちろんそれは主催者側の問題ではない。
途中で引き上げようと思えばいくらでもそうすることができた。
歌謡ショウや劇(時代劇)は、しかし、とても新鮮だった。
まず、登場する主な役者が絶品という感じ。
化粧した顔貌や姿が観客に受けることを十分に承知していて、聴衆の喝采を誘うような演技をする。
背景の音響も役者の声もクリアで大きく、人々を芸の世界に引き込んでいく強い力を持っている。
長年培われたものがここに集積しているという強い印象をもった。
おそらく日本の各地にこのような劇場が今もなお多数残っているのだろうと思われた。
ようやく帰るときになって、〈平日〉なのに劇場がほとんど満席になっていたことに驚かされた。
古びて小さなボロイ劇場でそうたくさんの客は入れないだろうが、公演中一部観客からたえず黄色の声援が発せられていた。けっこう常連客(繰り返し客)があるそうである。
こんな世界がこの神戸の古びた町にあったということが一つの新鮮な驚きだった。
このあと、われわれの観光の予定先は近くの湊川神社だった。
自分には楠木正成の神社という記憶がある。
「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)
という碑銘があるとかいうはっきりしない記憶があった。
その碑は今回確認できなかった。
子どものころ、近くの叔父の家で、戦前の小学校の教科書を読んだ記憶がある。
そのなかに楠木正成のことも出ていたようなはっきりしない記憶が残っている。
今回の行事の主体の「先山学園」は、母校(加茂小学校)構内にある公民館や体育館などを会場として、月1回ていど(年10回)講座をもっている。
公民館事業の一環のようである。加茂地区連合老人会(10ほどある各町の老人会からなる)が主催する形になっている。受講メンバーは30人あまり。
自主的に参加する人はまずほとんどなく、毎年春先に、各町の老人会長が参加者を調達することになっている。
当方もできることなら〈ご免〉したいと思いながら、頼まれると参加するに到っている次第。
参加したらそれなりに楽しめるところもあるのである。
「先山学園」という名は、加茂地区が「淡路富士」とも呼ばれる淡路島第一の霊山「先山」(せんざん)に抱かれるように存在しているところからきている。
小学校、中学校の校歌にも「淡路富士」という言葉が歌い込まれている。
加茂小学校(洲本市立)の校歌の歌いだしは
姿優しき淡路富士
青雲中学校(洲本市立)の校歌の出だしは
淡路富士、淡路富士、柏原(かしわら)連ね青雲に
(柏原というのは、柏原山のこと。淡路富士(=先山)は学校の北にあり、
柏原山は学校の南側にあって、淡路島南部に連なる峰々の一つになっている。)
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by mozar
| 2019-11-14 00:51
| 地域の活動など