田舎生活、文学愛好者の、心おもむくままの気まぐれな日誌。
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個々の短篇を重ねた末に一長篇を構成するように仕組む(漱石)、

 このブログも途切れがちで、何でもいい、少なくともできるだけ何かを載せなくてはという思いになるのだが、なかなかそうはいかない。
 同人誌(第14号)への自分の投稿作品がまだできていない。書くべき材料や内容、構想についてもまったくゼロ状態。
 締め切りは4月末で、今はもう5月も半ばを過ぎている。
 これまでも毎号締め切りギリギリ間際の繰り返しで、今回はいよいよダメかも、ダメならばとにかく何でもいい、お茶濁しに粗略簡単なものでもでっちあげて出そう、というところまで追い込まれて、そういう結果、曲りなりに13号まで毎号、それなりの作品を出せてきたのだった。そういう実績(経験)があって、何とかなるだろうとタカをくくっていられるのだ。で、今に至っても毎日あわてないでのんびり過ごしている。
 編集作業は自分の担当なので、5月中でも十分いける。場合によっては6月中・下旬になっても……と、そんな思いもある。

 それで、パソコンにようやく向かい始めた。
 パソコン内(Evernote)に保存されていた文章を何となく見ていると、「短編を積み重ねて」という項目があった。
 これまで自分が同人誌に載せてきたさして長くない文章は要するに、これではないか。
「取り敢えず手許にある短文(たまたま目についた幾つかの、互いに無関係な短文)をつなぎ並べて1つの作品にする」方式。
 短文と短文の関係性はあまり問わない。並べておくと、読者が何やら意味らしいものをくみ取ってくれるかもしれないし、くみ取ってくれないかもしれない……いや、くみ取ってくれるだろう……
 その程度の関係性が多少ほのめかされているという体のものだ。
 〈そんなふうな方法論〉について書いた作家たちの文章を幾つかEvernoteに集めて(保存)してあったので、今回はそのうちの1つを引用してみたい。

夏目漱石「彼岸過迄」を読む(かなり古い「我が日記」から)

《文章の密度が高く、軽くは読めないが、とてもおもしろい、と感じながら読んだ。読者を楽しませる漱石の腕前を感じた。
 昭和41年に発行されたもの(第18版)で、旧仮名遣いのままで、漢字が〈旧字〉である。昔はあんな面倒な漢字を書いていたのか、とても書けないな、と思う。しかし、考えてみると、僕らが育った時代にはもうそういう文字は、出版物においても、多分一般的ではなかったはずだ。
 ワープロ(パソコン)で古い漢字を探すのは相当な手間であり、もちろん探せばすべて見つかるとは限らない。漱石の使っている文字を現代風の漢字に改めて引用する。》

 以下は夏目漱石の文章からの引用。

《「彼岸過迄」というのは元日から始めて、彼岸過迄書く予定だから単にそう名づけた迄に過ぎない実は空しい標題(みだし)である。
 かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合(あいがっ)して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。
 が、つい其を試みる機会もなくて今日迄過ぎたのであるから、もし自分の手際が許すならば此の「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。
 けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展が含まない訳にいかないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合が能く起って来るのは、普段の実世間に於て吾々の企てが意外の障害を受て予期の如くに纏まらないのと一般である。
 従って是はずっと書進んで見ないと一寸分らないまったく未来に属する問題かもしれない。けれどもよし旨く行かなくっても、離れるともつくとも片の付かない短篇が続く丈の事だろうとは予想出来る。自分は夫でも差支えなかろうと思っている。
「個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組む」それが「旨く行かなくて、短篇が続く丈の事になっても差支えない」》

 漱石がこんなふうに言っていることは、日ごろものを書く方式として似たような思いを持つ自分にとってとても興味深い。



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# by mozar | 2018-05-18 20:30 | How-To | Comments(0)

同人誌「淡路島文学」の次号発行計画について

 これまで発行してきた地域の文学同人誌「淡路島文学」
 年1回(正確には10か月に1回)の発行で、今回が14号になる。
 13号は、同人誌を始めた牽引者、北原文雄氏が急に亡くなったあとの追悼号で
立派な本ができた。
 今回の第14号は、北原氏が抜けた後のメンバーの作品が集まる。
 原稿締め切りは4月30日としていたが、送られてきた原稿は今のところ3件だけ。
 他のメンバーには期日に遅れてももいいから、作品を書いてだしてほしいと、連絡している。
 ほとんどの人は、期限に間にあわないが、鋭意、書いていると応えてくれた。
 第13号の「北原文雄氏追悼特集号」は勿論特別だった。
 それ以降の「通常号」がどうなるか、それは残された同人各位の頑張り次第、ということになるのだろうか?



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# by mozar | 2018-05-12 01:14 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

春の野辺の植物たち――散歩の途中見かける――

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 散歩に出ると、いつもいろんな植物を見かけます。
 とても小さな花を無数に咲かせる花など……
 白い花黄色い花や……

 名も知らない花々――名を知りたい花々……

 よく知っているたんぽぽは、四月ともなると、日々次第に増えて目に入ってきます。……

 不思議なことに、子供のころありふれた花として知る尽くしていたはずのレンゲの花はあまり見られないようです。
 小学校1年生のとき習った「春の小川」の歌にもあった「岸のすみれやレンゲ花」ですが……
当時と同じようにタンポポはいたるところに見られますが、れんげすみれはとなると?……



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# by mozar | 2018-05-05 01:08 | 田舎の風景、写真 | Comments(0)

けっこうリアルで"怖い"獅子舞

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 久しぶりにブロブ。
 ずっと気にしていたのでしたが、……
 いろいろ地域の活動で日程が続いていて、心の余裕がなくて

 春祭りの獅子舞を動画におさめました。祭りは、3月末の日曜日のことでしたが、
最近ようやく余裕ができて、当日撮ったデジカメのビデオをパソコンで再生してみると、
けっこうおもしろいですね。
 ブログに載せたいと試みたのですが、よくわからないので、
 写真を掲載すると、どうしたことか同じ写真が3枚も掲載されて、削除する方法がわからないまま……
 そのうちわかるでしょうか? 多分。

 獅子舞は若い衆2人が演じますが、
 そのまわりで子どもが3人(もすけ2人、サル1人)
 〈荒ぶる獅子〉をなだめる役を務めます。

 獅子舞は全国いろいろあると思いますが、わが上内膳(淡路島)のそれは、
子供のころから印象深いと思っていましたが、なかなか「リアル」で、
 鐘と太鼓の音もリアルで、ちょっと怖い感じです。



 


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# by mozar | 2018-05-04 00:13 | 田舎の風景、写真 | Comments(0)

「ご隠居さん」の身分になったのにいろいろ……

 「ご隠居さん」「悠々自適」の年齢で、そんな「ご気楽な身分」になったはずなのにいろいろ、地域活動が身に迫って来る……

 この年になって、けっこう忙しいのはまあいいだろう。

 今年3月は市長選挙・市議会議員選挙があって、町内会長連中はいろいろストレスを抱える状況。
 地域の町内会は、これまでのありかたからも、支援する市長候補・市議会議員候補を応援することを決定して、選挙運動を応援してきた。今回もそれをやめることはできないだろう。

 支援者団体を中心に、選挙運動のためいろんな会合や活動が計画される。町内会長は前の町内会役員にもそうした会合への出席(参加)を求めてくる。前会長経験者としては、新しい町内会長の苦労のほどがよくわかるのだ。それでたいていの場合、即座に快く参加(出席)で応えることになる。

 お寺の総代の事では、それ以上に深刻・大変な変革が生じていて、実は昨年末いらいずっとそのことを思って悩み続けてきたのだ。先日若い住職さんから役員会を23日に開催したいとれんらくがあった。
 いろいろ重大な問題があって、役員6人のうち5人はお寺側の意向を汲んで、檀家の負担金増額を決めることになる形成にある。自分1人がそれに疑問を呈していて、檀家が一度ではなく毎年負担することになる徴収金大幅増額決定に、檀家代表と協議するプロセスは欠かせない。そう主張しようと考えている。
 ただ、それに対して会の主導的な存在のMさんが強く反対することはわかっている。
 当方としては、とにかく自分の意見を披露して、それで押してみよう。場合によっては、寺総代の役を他の人と替えてほしいと訴えてやろうか。というほどの思いも感じている。それはあまりにも子どもの因果(いんが)じみていて大人げないかという思いも感じるのだけれども……。場の大勢が弱いと感じたらそれはそれで譲歩することになるのかもしれない、どちらにしても、そういう主張をしてみるというプロセスは欠かせない……
 役員6人のうち5人はみな同じ意見らしく、1人だけ自分がそれに異をとなえているという構図は変わらないのだろう。そんな情勢だ。……



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# by mozar | 2018-02-22 00:35 | 地域の活動など | Comments(0)

実は地域のいろんな活動に巻き込まれて

 もともと人付き合いのよくない自分が、町内会長にといわれて、順番から引き受けざるを得ないと思って、4年ほど前に町内会長になった。その前の年まで、同じような状況で、老人会長を頼まれて、何とか務めた。
 通常は会計役(副会長)をやったあと会長の役が回ってくるのだが、老人会長は副会長(会計)役をとばして回ってきたのだった。
 狭い町内会に人材がしだいにいなくなってきているのだ。

 町内会長役の任期終了の2年目になって、次の会長を誰に頼むかで、大いに悩み苦しんだ。思い当たる人5人ほどに当たってみたが、いずれも引き受けてもらえなかった。
 悩み苦しんだが、自分が町内会長を続けるしかない。
 総会で、「こういう状況ですので、あと1期(2年間)、自分が続けることにしたいと思います。ご了承いただけるでしょうか」
 もちろんだれも反対はしない。町内会長になりたいひとなどまずいないから。

 その後、2期目の1年目が終わろうかという年末に、寺総代役の話が舞い込んだ。
 お寺が複雑な事情をかかえていて、住職が代わった。新住職は若い人で、意欲的。いろいろこれまでにない新事業を企画しようと考えて、寺総代を一新する計画をたてた。尾筋はK※※さん、大森谷はF※※さん、里は元校長のW※※氏。W※※は新住職の求めを拒んで、寺総代役を当方へふってきた。まだ、町内会長もしていないのに、寺総代はおかしいと思ったようだ。寺総代役はこれまでずっと、町内会長を終えた人が勤めてきた。
 そのW※※から、町内会長である当方へ寺総代を引き受けてくれないか、その代わり町内会長を引き受けるから、という提案があった。
 町内会長役については、そのころから非常な悩みがあった。そのまま町内会長を続けていたら、次年度には会長歴の長い自分が加茂地区の連合町内会の会長にさせられること必定という状況を感じていた。
 そのような役は自分には、荷が重すぎてとてもまともには勤められない、いや、勤められないばかりか、そのことで非常に大きな苦しみ悩みに晒されることになる、という不安(というよりも恐怖、怯えといってもいいようなもの)があった。

 W※※氏が、寺総代を当方にゆだねて、彼自らは「町内会長」役を引き受ける。

 この提案は、自分には十分に魅力的だと感じられた。
 まさに「渡りに船」で、「乗ることで救われる」という思いがあった。

 何しろこの先、町内会長の仕事は、悩ましい案件がいろいろ待ち受けている。とくに市長選挙、市議会議員選挙の年で、いろいろ人員の動員が要請される場面があるはず。(今現在まさに後任のW※※氏がその任で悪銭苦闘している。)
 寺総代役はそれほど大したことではないというのがそれまでの評判だった。
 そこで、町内会長役と寺総代役を取引したのだ。
 
 その結果として、4月から町内会長役を免じられて、町内会長の役割から自由になったのだったが……

 寺総代の仕事が最初に思っていたのとちがって、ひどく……
 新しい住職の意欲を反映して積極的に前にすすむべきところ、自分には、これは……






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# by mozar | 2018-02-16 23:13 | 地域の活動など | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(7)最終回

鏡に映る景色いろいろ

    7

 回転寿司○○店に夕方五時に着くと、ちょうど〝おばあちゃん"一行が先に着いて車をとめて、店内に入っていくところだった。
 おばあちゃん、長男のフミヤ、嫁のアヤカさん、その息子たち、ヒロト君とスミト君、大阪に住むハルミ、その子のキララちゃんとヒデキ君。
 休日の夕食時のこと、客が多く、予約しなければならず、時間待ちした結果、二つの席に別れる。人数の加減から長男一家は別のコーナー、ハルミたち一家はおじいちゃん、おばあちゃんといっしょのコーナーになった。
 この夕は、昼間の活動でみんな疲れたのか、子どもたちはいつもより何となく不活発な印象だった。そんな中でも目に付いたのはキララちゃんのおかしさだった。
 母親のハルミが「キララはエビが好き」といったので、それを聞いたおばあちゃんが、エビのにぎり寿司をとってキララちゃんの前に置いた。
「キララちゃん、エビたべる?」
 キララちゃんは丸い目を丸くしていった。
「エビはこわい……」
 それをきいて大人たちは笑った。
「エビこわいの? 好きといっていたのに」
 食事を終えて帰りしなに、おばあちゃんがレジで支払いするあいだ、他のおとなたちと子どもたちは、店の入り口に設置されている大きな水槽のなかの魚を見ていた。魚は大小五匹ほどいて、深海魚のように珍しい生態を見せながら、目の前に出没しては遠ざかるのである。子どもらはみないっせいに興味津々で水槽に目を向けている。
 横にいた小さなヒデキ君が「わあ!」と声をあげた。
 その様子を見ておじいちゃんが言った。
「これなあに?」
〝何というお魚かわかるかな?〟と、幼いヒデキ君に向けて問いかけたのだった。すぐ横にいた姉のキララちゃんがその問いを引き受けて、
「これはおさかなよ、おじいちゃん」と答えてくれた。「わかった? おじいちゃん、これはおさかなっていうのよ!」
 そんなキララちゃんを見て、おとなたちは大いに笑った。  (了)

     

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# by mozar | 2018-01-01 22:09 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(6)

鏡に映る景色いろいろ


    6

 近所の仲間からカラオケ喫茶に誘われる機会が定期的にあって、このところ参加することが当たり前になってしまっている。自分としてはもともと好きな方ではないし、カラオケなどに時間をとられるのはとんでもない無駄と思われたのだが、断るばかりもどうか、たまにはいいか、と、一度参加すると、次もということになって、まあいいか、それほど嫌でもない、とつきあいはじめた。
 ずっと昔、会社勤めをしていたころにも、飲む会のあとなどに誘われていつものコースでカラオケバーに行ったものだった。そんなときにもできたらそっとずらかりたい、誘われたらまあしかたないのでつきあおうか、という姿勢だった。もともと音楽は好きな方だが、人前で歌うのはあまり好きでない、なるべくなら歌わないですむように順番が回ってくるのを回避する、といったところが昔からあった。
 元来、非社交的で人づきあいの悪い人間を自負していて、忘年会などのあとの二次会には気が向かないところがあったのだが、いろいろ人間関係があって、一度誘われて断った後などには必要以上に気をつかって、次は参加することになったりする。一度参加すると次からは参加することが当たり前になって、次第に抵抗感も減じて、それが一つの楽しみといっていいものにもなるのだ。
 そういう段階になると、くだらないと口では唱えながら、インターネットなどで、むかし聴いていいと思った歌や誰かが店で歌っていた歌などを蒐集して、次にはこれを歌ってみようかなどと繰り返し聴いたり口ずさんだりしながら覚えようとしている自分を見いだすのである。
 自分と同年齢のメンバーの持ち歌に藤島桓夫(たけお)の「月の法善寺横丁」がある。最近のある夜も彼がそれを歌うのを聞いて、それならひとつ藤島桓夫の他の歌を歌ってやろうかと思いつき、子どもの頃親しんだこの歌手のごく初期の歌「さよなら港」を歌った。とても気持ちよく歌えた。さらに別の日には同じく藤島桓夫の「かえりの港」を歌った。こちらはさらに気持ちよく歌えた。どちらもずいぶん昔に流行(はや)った歌で、ずっと長いあいだ特に思い出すこともなく、格別に懐かしいとも思ったことのない歌である。
 それから数か月たって、老人会の親睦会が市の郊外の旅館で開催されて、その宴席でも、自分は選曲に迷った挙句に「かえりの港」を歌った。
 宴たけなわ、会場はおしゃべりに盛り上がってにぎわしく、こんな昔の忘れられた歌を覚えている人は誰もなく、耳傾ける人もない様子だった。誰も聞いていない……べつに特別のことではない、それはまあえてしてそういうものでそれでいいのだ、と思いつつ、ふと気づいたのは、誰も聞いていないと思われた中に、一人だけずっとこちらに顔を向けて聞いているらしいひとがいたことだ。その人はぼくとほぼ同年輩の人で、たぶん子どもの頃よく聞いた歌が歌われていることに、何らかの感慨を感じてくれたのかもしれないとぼくは思ったのだった。
 子どもの頃流行していた歌手の歌は幾らでも知っていて、今でも歌詞さえあればいつでもすぐに歌える歌が多い。三橋美智也、春日八郎、美空ひばり、島倉千代子、青木光一、三浦洸一、藤島桓夫、菅原都々子、灰田勝彦、岡本敦郎、白根一男、曽根史郎、三船ひろし、若山彰、伊藤久男、大津美子、松山恵子、野村雪子、三波春夫、村田英雄、朝丘雪路、西田佐知子、神楽坂浮子、藤本二三代、フランク永井、さらに古いところでは、後のナツメロブームの頃毎週ラジオで聴いて知った歌手たちがある。藤原義江、佐藤千夜子、藤山一郎、東海林太郎、淡谷のり子、小林千代子、楠木繁夫、霧島昇、岡晴夫、上原敏、津村謙、田畑義男、小畑実、近江俊郎、岡本敦郎、灰田勝彦、林伊佐緒、伊藤久男、高峰三枝子など……
 さらにその後の比較的新しい時代には、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、克美茂、松島アキラ、井沢八郎、新川次郎、安達明、赤木圭一郎、神戸一郎、守屋浩、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦、三田明、梶光夫、吉永百合子、倍賞千恵子、奥村千代……、そして、そして……さらに新しい時代には……
 おい、おい、おい……これはとんだ脱線……
 いくらあげてみても、夜空の星のようできりがない……
 カラオケ喫茶で「かえりの港」を気持ちよく歌ったあと、家に帰ってからインターネットで検索すると、ネット辞書・ウィキペディアの記事に藤島桓夫のヒット曲がまとめて一覧表示されていた。一覧のなかで最初に挙がっているのは、「たった一言なぜ云えぬ」(昭和29年)で、曲はあまりはっきり覚えていないながら、確かに自分の記憶にある。
 そのあとに五曲が並んでいた。年代順に挙げると、

「初めて来た港」(昭和29年)
「かえりの港」(昭和30年)
「さよなら港」(昭和31年)
「流し舟歌」昭和31年
「また来た港」(昭和32年)

 自分の年齢期としては小学校6年から中学生のころである。
 五曲ともに豊田一雄作詞、豊田一雄作曲となっている。それ以後にも次々とヒットした藤島桓夫の歌(「村の駐在所」「お月さん今晩は」「あんこなぜなく」「凧々上がれ」「月の法善寺横町」など)は、作詞・作曲者はみな豊田一雄とは別の人である。
〝豊田一雄〟――どうやらこの名前に〝ツボ〟がありそうだ。
 そういう考え(一つの幻想? 思い込み?)が自分の中に生じて、他の歌手のヒット曲でも豊田一雄作曲のものがないだろうか? あれば同じような〝心地よさ〟があるのではないか?興味を感じて調べてみたが、残念ながら見つからなかった。
 夕方散歩のとき、以前はNHKラジオの教養講座や、モーツァルトやバッハの曲の録音ファイルを、手のひらに収まる小さなICレコーダーに入れて、いつも持ち歩いて聴いていたものだったが、それもいつからかやまっていた。
 このごろ、過去に気に入ったいろんな流行歌を持ち歩くことを思いついて、子どものころに流行った古い歌を中心に、自分にとって比較的新しいものも取り混ぜて、ICレコーダーに入れた。車の中でも聞こうとCDにも焼き付けた。
 そんな中に藤島桓夫の「かえりの港」なども入れておいた。するとどういうことか、ともするとこの歌ばかりを何度も繰り返し聞いている自分を見出すことになった。いい歌というよりも、気持ちがいいのだ。「沖のカモメよ、情けあるなら、ヨ~オオ、オ~オオ、オ~オオオ~」と一つの音を節をつけて引き延ばして歌うところがそうなのだろうか。歌の部分だけではなく、曲の感じ、なかでも前奏部分や間奏部分がいいのだ。間奏部分が来るのを待ちうけていて、その部分がくると注意を傾ける。あるいは間奏部分のメロディを何度も口ずさんでいる自分を見いだす。
 歌としてならば、もっといいと思う歌は他にいくらもある。ただ、今は、どういうわけか、他のものは繰り返し聞く気になれない。どちらかというと単純で安っぽいとも思われる豊田一雄作曲の〝藤島桓夫〟が、どうしてこんなに〈心地よい〉のか、自分ながら不思議である。いずれそう長く続くことなく、早晩飽きるときがくるだろうことは、過去の経験からも明らかなのだけれども。
 そのうちにICレコーダーの中に藤島桓夫の初期の五つの歌だけを残して、他の曲は削除した。いくら何でもそればかり聞いていてはいずれ飽きてしまうことは避けられない。過去の経験からも明らかな真実である。
 それでインターネットで知ってそのうち聞こうと思ってパソコンに保存しておいたコジェルフの〝シンフォニート短調〟、エッカルトの〝ピアノソナタト短調〟も一緒に加えておいた。どちらもモーツァルトと同時代に活躍した作曲家である。十代の頃から短調の曲が好きで、モーツァルトのト短調の交響曲やハ短調やイ短調のピアノソナタが気に入って、繰り返し聞いていた時期があった。
 こう書いてきて、ネット検索するうちにこんな記事が引っかかってきた。
《藤島桓夫(ふじしまたけお、1927年10月6日~1994年2月1日)は、日本の演歌歌手。本名・坂本義明。愛称はオブさん。藤島恒夫と表記されることがあるが誤り。鼻から頭の先に抜けるような独特の高音と渋みのある低音を織り交ぜた歌唱、粋なマドロス姿や着流し姿で多くのファンに愛された。》(〝Wikipedia〟記事)
 ずっと以前に見たNHKのテレビ番組を思い出す。何の番組だったか、録画して何度か繰り返して見ながら、興味深いと感じたので、ノートにメモを取ったりした記憶がある。
 人が何かおいしいものを食べてそれがその人にとって〝おいしい!〟となるメカニズムを説明していた。
〝おいしい! おいしい! おいしい!〟と脳が思う(思い込む)のだそうだ。
 そうすると(詳細はよく覚えていないが)、あるものが〝おいしい!〟ことを脳が覚えるようになる。
 これはある特定の人を好きになる恋愛の心理にもいえるのではないか、と私はそのとき思ったものだった。
 今回の「かえりの港」などについても、それが当てはまるかもしれないという考えがふと浮かんだ。
〝おいしい! おいしい! おいしい!〟
 学生時代に読んだスタンダールの言葉に〝結晶作用〟というのがあった。ある人(異性)を見て初めは感嘆し、それからいろいろあってしばらく経ってから、あるとき相手が〝すばらしく魅力的〟に見えることに気づく。
 スタンダールはこれを〝ザルツブルクの小枝〟に例えて〝結晶作用〟と呼んだ。
 ザルツブルクはモーツァルトの生誕地として知られ、その名「ザルツ(塩)ブルク(砦)」のとおり、古くから貴重な岩塩の生産地だった。ザルツブルグの塩坑(洞窟)に投げ込んだ木の小枝が数か月後には、塩の結晶で覆われ白く輝く無数のダイヤモンドのように見え、とても元の小枝とは見えなくなってしまう。
 それと似たようなことが、〝ある人〟を好きになるとき、人の心の中で起こるというのだ。
 人は「え? どうしてこんな曲がそれほどいいの? 信じられない……」と思うだろう。恋する男の話を聞いて「どうしてあんな女がいいの? とても信じられない……」と思うのと同じである。私自身の中でもこの感じ方は不変ではなく、別の時期の私には理解できないことにもなるのだろう。
 ふりかえってみると、最初にたまたま思いついて「かえりの港」をカラオケで歌ったとき、とても気持ちいいと思ったのはたしかだが、それはそれだけのことで、この歌は自分にとってまだ特別のものになっていなかった。
 その後またその歌を歌うことがあって、〝気持ちいい〟と思った。さらに何か月かたったあと、老人会の親睦会があって、また同じ曲を歌った。例によって誰も聞いていないように思われたなかに、一人だけこちらに顔を向けて聴いているらしい人がいた。その後夕方の散歩のときなどに、この歌ばかりを繰り返し聴いていることに気づいたのだった。
 ほかにもっといいと思う歌はいくらでもあるのだが、繰り返し何度も聞く気にはなれない。結果としてこの歌ばかり、何度でも繰り返し聞くことになるのだった。

 こうしたことは文章で書くとくだくだしくて、ひどく読みづらいものになるかもしれない。しかしこういうことは避けて通れないのではないかとこの頃思うのだ。書くとは元来こういうこと、くだくだしく読みづらくなってもならなくても、ここに一つの真実があるからには、それを思いきり追求していくしかない、そう開き直る必要があるのではないか。
 日頃書くことが思い浮かばないという不毛感を感じている。日記に何か書き記してみても、通り一ぺんの平面的な文章しか出てこない。そんななかで、今日は不思議なほど文章が湧き出てきたのはどうしてだろうか。
 いってみれば、これはマグマのようなもので、ひとかたまりになって一気に出てくる。こんなふうに一気に出てくるものには、なにがしか価値あるものが含まれているかもしれない。それは冷静な頭でひねくり出されるものではなくて、生命の底に流れる泉から汲み出されてくる。自分の中にある生命の水とつながっていて、そこから湧き出てくるものなのではないか。
 こういうものが出てくる状態に入れるように自分を導けばいいのではないか。半ば意識的にそういう状態に自分を導き入れることが可能なのではないだろうか。
「わかりきっていて書くまでもないと思えることでも、日ごろから律儀に書きとめることに意味があり、後々それが役に立つ」ということを読んだのは何の本だったか?
〝わかりきっていることだから書き留めるまでもない〟と思えることでも後になると思い出せないものになる。あのときどうだったか? 〝わかりきったこと〟がもう蘇らない。その〝わかりきっている〟ことが実は貴重なのだ。
 昔から刺激になりそうな〝HowTo〟本を書店で見かけるとつい買ってしまって、その都度「また買ってしまった」と苦笑したものだった。この種の本を読むのがまた格別に楽しいので次々と買ってしまうのだ。読んでこれはというところを抜き書きして保存したり、これだ、これで行こう、とプリンタで打ち出して、バインダに閉じたり壁に張ったりするのだが、例外なくすぐに忘れてしまって、結局実行されないままに、たくさんの貴重な教訓や素晴らしいヒントがパソコンやバインダの中に眠ったままずっと長いあいだ埋もれることになる。再び読み返すことはほとんどなく、たまに偶然見る機会があると、〝あ、これだ、これを忘れないようにしなくては〟と思うのだが、すぐまた忘れて、そのあとずっと思い出すことがない。
 問題は〝非常に大切なこと〟が忘れられて思い出されないままになること、肝心なことが隠れたままになった状態で長く続くこと。
 人生においてはそういうことがごく常なのだ。
 いってみるならそれは宝物のようなもの。偶然またみつかることがあるかもしれないし、生涯眠ったまま終わるかもしれない。貴重な宝物が眠る場所をもっと意識的に探索して、自分にいい感じの刺激を与え続けることが必要なのだろう。眠っているすべての宝物を掘り当てることはできないだろうが、その中の幾つかに偶然遭遇するだけで、自分にとって貴重なヒント、刺激が得られるはずではないか。

 その後も、藤島桓雄の初期五曲の作詞・作曲者である豊田一雄の名前が、この五曲だけで消えてしまったことに疑問を感じていた。この人は何かの事情で業界から消えてしまったのだろうか? そんなことを思ったりもしたが、その後もネット空間を執念深くいろいろ工夫しながら検索するうち、意外なところが引っかかってきた。

「釧路の駅でさようなら」(作詞:吉川静夫、作曲:豊田一雄、歌:三浦洸一、昭和33年)
「羽田発7時50分」(作詞:宮川哲夫、作曲:豊田一雄、歌:フランク永井、昭和33年)

 どれも作曲は豊田一雄、すっかり忘れていたが、たしか高校に入ったころだったかよく聴いた記憶がある。
 ヒットという点では比較的静かな存在だったかもしれない気がするが、今聴いてみてもなるほど懐かしくいい歌だ。藤島桓雄とはずいぶん趣が異なるが、やっぱり豊田一雄……と思わせるものがある。
 これらの歌も散歩のとき持ち運ぶ歌に加えることになった。



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# by mozar | 2018-01-01 22:07 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(5)


  鏡に映る景色いろいろ


    5

 ここにもう一つのことを書き加えておきたいと思う。
 年末近いある日、電話が鳴って受話器をとったとき、受話器の持ち方が悪かったのか、あるいはかなり以前から当方の右の耳が遠くなっていたこともあるのか、電話の向こうの声がほとんど聞きとれない。女性の声で「○○ですが……」と名乗ったようなのだが、どなたであるのかかすかにしか耳に認識できずにわからない。……どなたか近所の人だろうかと思い、これは困ったと戸惑いながら返事もできないでいると、
「主人が亡くなりまして、葬儀も終えて……」という言葉が耳に入ってきた。
〈え? 誰? 何?……〉
 名前を問い返すのは失礼かと思いながらも、今は尋ねるしかない。
「え? どちら様ですか?」
「あの、長井隆文の……」
 え? 長井?……
 その言葉でただちにわかった。何と言っていいのか、とっさに言葉が浮かばなかった。……
「あ! 長井くん。そうですか。それはどうも……」
 ごくあっさりした短いことばしか言えなかった。
 奧さんとは一度も会ったことがない。
 たしか名を知られた女性画家(日本画系)の娘さんで、その画家はK市内でも北の方の農村地域に住んでいて、私も一度長井君に誘われてお家を訪問したことがあった。彼女は家の壁か戸に猫が出入りできる穴を空けているという話をしてくれたと記憶する。
 ずっと昔からの大事な友人が亡くなったという報せ、こんな場合には、もっと尋ねたり言ったりすべきことが当然あるだろうとは分かっていたが、どうも自分は昔からそういうことが不得手で、言葉がつまって何も浮かんでこない。いろいろな事態に自分はこういう舌足らずで不十分で礼儀に失するかもしれない対応を繰り返してきたものだ。
 前号の〝同人雑誌〟を送ったとき、長井君は、とても好意的な励ましを含んだ言葉を寄せてくれていた。
 その文面には同時に彼の深刻な病状(極めて重篤で苦しい状態)が、〝苦笑と強気〟を装いながら、率直にしかも詳細に記されていた。訃報があったとしても少しも不思議ではないことはその文面からもよくわかった。
 奥さんからの電話をつい心なく短く切り上げてしまったあとも、繰り返し長井君のことが思われた。とうとう行ってしまったのか。長い間ずいぶん苦しんだことだろう。彼と最後に会ったのはいつだっただろうか。
 彼は若いころから山歩きが好きで、学生時代にも誘われて長野方面の山へ登ったことがあった。ずっと後のある時期、長野方面の山で、山小屋に住み着いて登山者の接客仕事をしている話を、登山系の雑誌に掲載したものを送ってくれたこともあった。その後さらに彼は件の画家のおともをしてインドへ渡り、インド紀行のようなものを掲載した雑誌を送ってくれた。インドの少年や素朴で貧しい人たちとの交情のことなどを生き生きと印象的な文章で書いていた。若いころ深く好んで読んでいたドストエフスキーの影響が、そんなところに濃厚に現れていると思ったものだった。
 その後彼がインドから帰って再びK市に住み着くことになってから間もなく、彼の提案でいっしょに奈良の大和を歩き、次には兵庫県の宝塚方面、さらにまた六甲の山中を歩いたことがあった。
 まもなくして、彼から、重篤な病に倒れて入院した、という便りがあった。
 さらに何年かおいて、あるていど回復したと、彼からまた山行の誘いがあって、無理しない方がいいのではと懸念を感じながら、最後に会ったのはたしかもう六、七年も前で、そのときは京都の東山方面を歩いた。
 昔懐かしい同志社大学前のバス停で待ち合わせて、東山の方向へと歩いて、かつて学生時代に何度となく歩いた真如堂や法然院がある付近まで行ってから、東山へと入って行った。たしか登り口あたりに熊野若王寺神社というのがあって、しばらくいくと「新島襄・八重の墓、登り口」という看板が立っている、あの場所だ。
 ひとまず落ち着いたとはいっても、彼の身体を心配しながらの山行だった。彼は弱みを見せたがらないところがあったから、当方もあまり心配しているところを見せては悪いかという思いもあって、つい無理をさせてしまったのではなかったか、と、彼と別れて帰る新快速電車の中で思い、帰ってからもずっと気になっていた。
 今年は、八月に隣家のTさんが亡くなり(こちらは高齢で長年病に苦しんでいたから、いよいよ来たかというところがあった)、さらにそのあとに同人誌仲間で発行をけん引してきてくれたKさんもまさかの突然に亡くなった。こちらはまさに〝晴天の霹靂(へきれき)〟だった。
 同人誌の最後の号が出来上がって、長井君に送るとき、「これが最後の号になるかもしれない」と悲観的な思いを書き送った。メンバーは高齢者が多く、突然いなくなったKさんに変わって活動をけん引する人はいないだろう、自分には荷が重過ぎる、と思うと、やっていくのが難しい気がしていた。
 そんな思いを長井君に書き送ったところ、彼から〝Kさんの志を継ぐためにも同人誌活動を続けるべき〟と励ましの手紙が送られてきた。

《雑誌を送ってくれてありがとう。十か月に一度の発行ペースが今回は少し遅れたみたいで、ちょうど一年ぶりぐらいですか。同人の多くが高齢化して、続けていくのがなかなか大変だろうとは思いますが、これまで発行を牽引なさってきたKさんの突然の死去で、「これが最後の号になるかもしれない」というのは、いかにも残念です。
 編集後記を読むと、Kさんは、驚くべき数の団体やグループの会長や代表を兼務されていて、それぞれに中心的な世話人としてさまざまなイベントの立案・計画と、その実施に労をお取りになりつつ、同時に、身を粉にして「文学」の編集作業を続けられてこられたようですから、故人のご苦労に報いるためにも、残った同人が一致協力し合って発行を続けていってほしいと思います。
 君とKさんとは、こちらの記憶の範囲内では、同郷の文学仲間であり、彼は君のよき理解者であったはずで、少なくとも四十五年前後同じ志をもって変わらぬ交わりを結んでこられた仲なのではないですか。それだけに、突然そういうかけがえのない人を失った君の心のうちがよくわかります。当方も、もう何十年来、お名前だけで直接は存じ上げないお方ですが、深く深くご冥福をお祈りさせていただきます。》

 長井君とは〈若き学生時代〉からのつきあいで、自分はもともと非社交的で人見知りする性分で、交際範囲も広くなかった。そんななかで長井君とはずっとつきあいがあったし、ときには反目することや白けることもあったりしながら、名曲喫茶に通ったり、いっしょに街に出てボーリングや玉突きをしたり、互いの下宿を訪問し合ったり、読んだ本や文学や美術関係のことを語り合ったりした。
 ドストエフスキー、スタンダール、モリエール、シェークスピア、ディケンズ、ほかに、当時〈心理小説〉がわれわれの関心の一つになっていて、バンジャマン・コンスタン『アドルフ』、ラ・ファイエット夫人『クレーブの奥方』、レーモン・ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』などは共通の話題になっていた。
 レールモントフ『現代の英雄』、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』、ヘンリ・ミラー『南回帰線』『北回帰線』がいいからぜひ読んでみろとすすめてくれたのも彼だった。
 卒業後、私が故郷に帰ってからも、彼は学生時代の町に残っていて、互いに連絡をとりあっていた。彼の出身は瀬戸内海の弓削(ゆげ)島、因島の橫にある小さな島の一つ、広島県に近いが、愛媛県に属するといっていた。子どものころ家のすぐそばで海の幸が豊富に獲れて、獲ったその場で料理して食べたのがおいしかったという話などを聞かしてくれた。
 最近の彼の手紙は実に緻密で内容豊富、印刷された細かい文字でびっしりと記されている。
《こちらは、入退院の繰り返しで、去年の五月下旬からもう五回になります。
 最長日数が五十日間、最短が十日間、平均三週間程度の入院で、合計すると、この一年三ヶ月ほどの間に百日余りを病院で過ごしてきました。
 ………………(中略)………………
 医師は入院中毎日病室に来ていた女房殿に何度も「もしものこともあり得る」と言っていたようですし、患者本人にも直接打ち明けてくれたことがありましたが、患者本人の意識として「自分自身のこととして自ずとわかる気持ちの上の元気度を考慮すれば、今はまだそれはあり得ない」と医師の言葉を一笑に付したこともありました。医師は、患者の個人的な生命力には注意を向けず、これまで経験してきたケースを尺度にして平均的に判断する。患者としては、医師の評価がどうであろうと、〈死ぬのはまだだいぶ先〉という意識を今もかなり強く持っています。〈親からなかなかしぶとい生命力を与えられていて〉、不摂生に不摂生を重ねてきた一生だったにもかかわらず、死にたくても簡単には死なない、できればKさんのようにポックリと逝きたいと思ってもなかなかそうは行きそうにない。死ぬときは痛みと汚物にまみれつつのたうちながら死ぬのが自分の宿命かなと、まあ、若いときに好き勝手に生きてきた報いの、「神」の差配の帳尻合わせとして、仕方ないかと、半分諦めています》
 学生時代の昔から、彼はこんなふうな自分の生きかたや死にざまのことを書いたり話したりしたものだった。
《その後体調はいかがですか。以前からいろいろなトラブルを訴えておいでだったから、老化とともにその度を加えていることもあるだろうと思いますが、今回の作品の勢いからすると、まだまだ行けるのではないかと推定したりしています。
 夏が終わり「天高く……」の秋になったとはいえ、九月は雨天曇天続きの、梅雨期以上に欝陶しい毎日でした。近年は、温暖化など地球環境の変化で、気候・天候のことは、以前の常識がまったく通じなくなっていて、十月こそはもう少し気持ちよい月になってほしいと願っていますが、どうなることやらと、正直危ぶんでもいます。
 ともかく、元気で書けるうちにどんどん書いてほしいと思います。草々》

 その後、わが同人誌仲間が集まる機会があって、同人誌の存続をどうするかという問題が持ちあがった。堅実に精力的に同人誌発行をけん引してくれたKさんの真似はとてもできないながら、最近は若い書き手も参加してくれているのだから、作品を書く場を確保する意味もあり、〝とりあえず続けてみよう〟という意見が大勢で、引きつづき同人誌を続けることになった。

 年末に長井君の奥さんから〝喪中〟のはがきが届いた。
 さらに四月に〝転居〟のお知らせがあった。
《ご無沙汰しております。お変わりなくお過ごしでしょうか。
 この度下記に転居いたしました。あわただしい日々でしたが息子たちの近くに住むことになりました。植物園が近く、満開の桜が綺麗です。散歩をしながら徐々に慣れていこうと思います。今後ともよろしくお願いいたします》
 印刷された挨拶文のあとに手書きの〝追記〟があった。
《いただいたお手紙のなかには「重要、捨てるな!!」と書いてあるものもありました。いろいろとありがとうございました》


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# by mozar | 2017-12-29 18:39 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(4)


 鏡に映る景色いろいろ


    4

 午後二時から、市の本村会館で〝人権講習会〟というのがあって、それに出てほしいと町内会長のMさんから頼まれていた。本村会館は我が家の近くにあって、その前を自分は車で毎日のように通っているが、そこへ入るのは初めてであった。広いとはいえない駐車場にもうすでに車がいっぱいで、今着いたらしい人たちが会館に入っていく。
 二階の会議室へ入ると、会場はいっぱいで最前列の方の席がまだ空いている模様。できれば後の方の席が気楽でいいのだけれどと、空いた席を探して前の方へ行くと、中ほどに田上幸信さんがいたのでちょっと当惑。ちょうどその隣の席が一つ空いている。
 ときどき彼とは別の会でもいっしょになって気軽に言葉を交わす間柄だが、こんな場所で同席するのは戸惑われた。
 無口な自分は何を話したらいいのか、何も言わないでいるのは奇妙だろうし、自分が横の席にいれば彼も窮屈で気まずいだろう。同席を避けたことが相手にわかるのもまずいかとも感じて、その席に座ることになった。そのとき場内整理のためにそばに立っていた会の役員であるHさんが、「Sさん、もっと前へ。前の方が空いている」というので、そのとおりにした。
 人嫌いというのではないが、どうも自分は人を避ける傾向がかなり著しいようだ。街などで知った人を見かけると、声をかけるよりもまず相手から気づかれないように避けようとする自分を見出すのだ。相手から気づかれたときには親しさをみせて会釈をするが、できれば言葉を交わさないで軽くすれ違おうとする。場の成り行きで立ち話が始まっても早く別れるきっかけをつかもうとする。相手を嫌っているのではないのだが、人と向き合っている(気を使って向き合う)状態にいつも落ち着かないものを感じるのだ。
 この日のような会合でも、顔見知りでない人と隣合わせになる方が気が楽というところが自分にはあった。要するにそれほど自分は、生来、人と関わることへの不安感、不具合感に悩まされてきたのだった。

 地区の町内会や老人会、子ども会、PTAなど、いろんな団体の役員などを集めて、三〇分ていどのビデオを見せて、その後招かれた講師が話をする、そんな会である。
 DVDビデオがスクリーンに放映された。自分たちが住んでいるすぐ身近なところにいろんな人たちがいる。われわれは日頃それに気づかないまま素通りしている。そんな風なことを考えさせられた。
 涙を流す人が周りに何人かいる様子、それが感知された。自分自身もこれは困った、出来るなら涙など見せたくないと思いながら、涙が漏れてちょっと困った事態になった。鼻水までも出てきた。
 講習会は一時間半ていどで終わった。いつもなら真っ先に席を立って帰るところだが、先ほど後ろの方で見かけた田上幸信さんと顔を合わせることを避けようとの思いがあって、しばし席を立たずに意図的にぐずぐず時間稼ぎをしていた。ようやく立ち上がって出口の方へいくと、田上さんがまだ席に座っていて当方へ話しかけてきた。
「町内会長から頼まれてね」と当方は苦笑しながらこの会合に出てきたいいわけをした。
 田上さんは桐山則博さんの話をはじめた。
 田上さんと桐山さんは、若い頃から文学活動を通じてかなり親しい交流もあったようだ。
「最近は桐山さんと連絡がまったくなくなっていたけど、正月過ぎに手紙がきてね」と田上さん。「それも北海道、札幌から」
「え? 北海道? 札幌?」
「うん。しばらく日にちを置いて今度は旭川から手紙がきて。それからさらにしばらく置いて、また別の場所(釧路だったか?)からきた」
「うん、うん……?」と笑ってうなずきながら、〈え? どうして? 桐山さんは北海道に住むことになったの?〉などと暢気なことを思っていた。
 田上さんの話は次に北陸へと飛んだ。
「それから北陸の金沢の方から電話が入った。彼は普通に落ち着いて話す人だったのだけれども、その時の電話の声はかなり奇妙でハイテンションだった」
「うん、うん……?」と応じながら、〈おい、おい、大変なことになってきたのでは?〉とさすがにいぶかるうちに、さらに話が進んで、
「それからまもなく今度は白山のあたりの警察から電話があって」と田上さんの話は続く。
 そう聞くうちにどうやらこれはエライことだと気づきはじめた。桐山さんは死出の旅に出て、その途中で旅先から次々とかつての親しい友人に手紙を出した。そして旅行きの果てに、覚悟してきめていた計画(=自死)を敢行した、ということではないのか、という厳粛な事実が浮かびあがってきた。笑ってばかりはいられない。……
「このところ桐山さんとはずっと会っていなかった。年賀状は毎年出していたけれど、ここ何年かは返事が途絶えていた」
「そう。ぼくの方も同じ。年賀状が来なくなった。何年か前から桐山さんはインターネットで出版業をはじめ、全国から会員を募集して文学関係の同人誌を企画印刷したりして、何度かその雑誌が僕の方へも送られてきた。どんなものを書いているのか読んでみようと興味を感じながら、結局あまり読まなかったけれども」
「うん、そう。それから彼は二年ほど前に小説を単行本で出版してね」
「うん、それはぼくも読んだ」
 小説は、いかにも桐山さんらしいものだという気がした。あるていど義理でというところがあって、丁寧に読んだわけではないけれども、何でも主人公の男性が複数の女性と次々恋愛関係におちて、関係した女性たちが愛に悩みながら自殺したりして死んでいく。最後に主人公の男性も自殺する、そんな内容の話だった。……
 彼が北海道や北陸へ旅に出て自死したのだとしたら、これはあらかじめ仕組んだ計画だったのではないのだろうか。全国各地へ旅行に行くことは、以前から繰り返していたようであるが、今回はいよいよ総決算で、計画的に旅に出て、計画的に死んだのかもしれない、あるいはその前に死が次々と登場する作品を書いたことも、作者の中に死と結びつく何かがあたのかもしれない、そんな思いが去来するのだ。
「白山近くの警察から電話依頼を受けて、あちらこちら心当たりへ電話してみた」と田上さん。「桐山さんがA町のTさんと親しくしていたのを思いだして、Tさんに電話してみた。Tさんのところへも同じような手紙が数回来たということだった」
「ほう? Tさんのところにも?」
「うん。それから桐山さんの奥さんに電話してみると、奧さんは〝私はもう関係ない〟という返事だった。奧さんはC社の事務職員だった。最近離婚したときの経緯を考えると、奧さんとしてはそれが当然との思いだっただろう。それから神戸にいる彼の娘さんに電話してみた。娘さんは子どものころからぼくもよく知っている。彼女は検死のためにに白山の方へ行くといってくれた。察するところ離婚したあと、桐山さんは暮らしの方も逼迫していたかもしれないという気がする。身体の方にも思わしくないところがあったようだし」
 そんなことを田上さんはひととおり話してくれた。今日この機会にそのことを是非伝えておきたいと思って待っていてくれたのに違いなかった。
 かなり衝撃的な話。……ずっと心に重く残った。
 桐山さんは鬱屈して複雑な過去を心の底に抱えている、と僕は常々想像していた。その陰は彼の初期から後年に至るまでの作品にもうかがわれる。
 以前は彼の文章を通り一遍の読み方で読んでいただけで、それほど深く興味を感じていたわけではなかった。作品に表れた彼の心の陰といったものを改めて思い返しはじめると、どうして彼がここにいたったのか、どういうわけで死が彼にとって近しかったのか、それを考えてみたくなった。
 いま思うと、彼の作品には、若き当初のころからどこか暗い陰(〝死〟の陰?)があったように思われる。今になってそれを確かめるために彼の作品を読みなおしてみたい気にもなっている。
 彼のペンネームと、最近出た本の名で、インターネットを検索すると、幾つかの記事がヒットしてきた。彼は何年か前からブログを公開していて、ブログにその都度書きつけた記事も豊富に残っている。今それを読んでみるとなかなか興味深いかもしれない気がする。読む時間があるかどうか、心許ないけれども、出来るだけ読んでみたいと思っているところだ。
 彼の本を紹介した記事がインターネット上にあって、検索すると作者の写真が載っていた。まさによく知っている彼の顔である。中折れ帽をかぶって眼鏡をかけていて、頬がやせた感じで、思えば独特、陰が感じられるような気がする。以前ならそれほど関心を引かれなかっただろうと思うのだが、今見るとなぜかしら深い印象があるから不思議である。それを見るたびに彼への関心が呼び起こされる気がしている。



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# by mozar | 2017-12-29 18:37 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(3)

 鏡に映る正体不明のものたち

     3

 カフェ・レストラン「プロムナード」はかなり空いていた。奥の方の席に座って、ポケットから買って読み始めたばかりの新書本を取り出した。
 最近は小説の類をあまり読まなくなった。書店をのぞいてつい買ってしまうのは、世界や日本の経済や社会やいろんな問題に関するドキュメントものである。この種の問題は、いろいろ様々な意見や見方があって、よく理解できるわけではないのにそれなりに興味深いので、つい買って読んでしまう。系統的に何かを学ぼうと考えて選ぶのではなく、書店で見かけて面白そうだからとつい買ってしまう。買ってから「ああ、また買った」と苦笑いしながらも、たちまち読んでしまうのだ。読んでいる間はあれこれと考えめぐらせながら、赤と黒のボールペンで傍線をたくさん引く。しかし読んだ後で得た情報や考え方を自分の知識とするために整理することはないし、再び読み返すこともめったにない。どんなことが書いてあったかと問い直してみても、ほとんど何も言えない。読みっ放し。……それでいい。……
 ずっと以前、若いころには、スポーツ新聞でプロ野球関連ニュースを読むのが楽しみで喫茶店に入ったものだった。自宅の新聞でも当時は、まずスポーツ欄を開いて見て、ほかのページの記事はあまり返り見なかった。
 いつのころからか、政治・経済・世界情勢、社会問題などの方に興味が移って、スポーツ欄などはすっとばして見るようになった。ある時期からテレビで報道番組ばかりに興味を惹かれて見るようになった影響だろう。
 興味の的はけっこう偏っていて、最近でいうと、日本や世界の経済問題、中国・北朝鮮・韓国に関するニュース、アメリカ大統領選挙、トランプ大統領の誕生やその後の政権運営、イギリスのEU離脱のことや、ヨーロッパの極右勢力の台頭……いやいや、そういうことに精通しているというのではまったくなくて、ただとにかく、そういうニュースの裏にどんな意外な事情があったのか、こんな見方もあったのかと思いながら、興味津々記事を追いかけるのである。
 毎週幾つかの報道関係番組を定期的にタイマー録画して見る習慣がついていて、それを視聴することにけっこう時間をとられる。録画したものを見る間はリモコンを操作するだけだから、寝転んで身体を休めていられる。コマーシャルはもとより、あまり興味がわかないニュースは早送りしてどんどん飛ばしていく。
 面白いからつい幾つもの番組を長時間見てしまう。毎日こんなことにこんなにも時間を取られていていいのだろうか、見る時間を鋭意減らさなくては、と思いながら、一つ終わるとまた次の番組を探し求めている。これはもう娯楽といってもいいのではないか。
 いってみるなら、むかしプロ野球のニュースを追いかけたのと同じように、今、世界や政治や経済や何やかやのニュースを追いかけているのだ。
 ニュースが娯楽になる! たしかにテレビでは明らかにその傾向が表れている。重大なニュースや深刻な問題の報道が娯楽番組のように立派な楽しみを提供しているのだ。以前はプロ野球や韓国ドラマやNHKの教養番組などを見るのに同じように多大な時間を取られていたが、この頃は報道番組ばかり見ている。それは〝娯楽〟ともいえるのだが、ある意味〝好奇心〟といってもいいものかもしれない。

 ホットコーヒーを注文して、本のページを繰り始めたとき、客が何人か入ってきて近くの席に座った。三人組で、一人はかなり高齢と思われる女性、あとの二人は六十代半ばにはなるだろうか、と思われる女性と男性。
「イシカワのトモカズさんがようなかったって。つい今朝ほど電話がかかってきて知った」と高齢らしい女性がいった。
「ええ? トモカズさん? イシカワ君?」少し若いと思われる女性。「中学校で同じ学年やった。具合悪いと聞いとったけど、イシカワ君亡くなったんですか? いつ?」
「ついさっき聞いたばかりで」
「ええ? 今日ですか!」
「今日か昨日かしらん、さきほど電話で聞いたばかりよ。前からわるかったんかな」
「だれが亡くなったって?」と男性。
「イシカワさん、トモカズさん、ほら銀行に勤めていた。二年ほど前に退職して、いつか脳梗塞で手術したと聞いた」
「あの家はおばあさんがおったな」
「おばあさんは死んだ。何年前やったかな?」
「死んだか?」
「ようないことは以前から聞いとった」と男性。「トモカズさんは若い頃神戸におったことがあって、会社の仲間に誘われて雑誌かなんかを発行して、〝ちょっとモノを書いた時期があった〟と言うとった。あるお酒の席でぼくは持病の発作で苦しんでいて、トモカズさんから酒を注がれ話しかけられたとき、うまく返事できなかった。それ以来トモカズさんは微妙にこちらを避けるような気がして、関係がぎこちなくなった。それを解消するために話しかける機会があればと思っていたけれど、その後まもなくいつもの会にも姿を見せなくなって、どうやら調子が悪いという噂を聞いた」
「どこで倒れとったって?」
「どこで倒れとったか、病院に入っとったか、わからん。さっき電話で聞いたばかりでそこまで確かめなんだ」
「あしこは子どもが二人あったな」
「うん二人あった」
「上が男でB病院に勤めとる、下が女、神戸で小学校の先生しとるとか」
「二人とも立派に育っとる」
「人間はわからん。今ここでこんなこと言いよっても、自分らもあしたどうなっとるやわからん」
「ハナダのヨッちゃんよ。二、三日まえに家に車が見えなかったからまた働きにいっとるのかなあと思うて見てたら」
「このごろヨッちゃんは髪も髭ものばしたままで」
「また仕事に行くいうとったけれど」
「まだ仕事には行っとらんようや」
「けっきょくどこがわるいのよ」
「自分では〝うつ気味〟やいうとったな」
「嫁はんは市役所に勤めとるんだあ?」
 詳しい事情はよくわからないながら、ここにも何かしら〝真実の影〟のようなものが垣間見られる気がする。



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# by mozar | 2017-12-29 18:24 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(2)

  鏡に映る景色いろいろ

 

      2

 町のスーパーマーケットの二階フロアで上着、ズボン、靴を買うことになった。
 親戚の人に会ったり、ちょっとした会議に出たりするときのために、以前から買おうと思って、あちらこちらの店を何度も何度も見て回っていたのだが、今ひとつ買いそびれていた。これはというものがなかなか見あたらなかったせいもある。それを今回は一気に三点買うことになった。
 次の土曜日にも、岩野家の人と会食することになっている。スーツならあるのだ。退職直前に妻といっしょに近くの大型洋服店に行って、〝二着買えば二着目が半額〟というので、妻の後押しもあって二着買った。その後、そのうちの一つを一度着ただけ。
 自分としては、スーツはちょっと改まりすぎという気がして落ち着かない。なるだけカジュアルでラフなものがいいという思いがあるのだ。
 今日は月に二度ある五%割引の日。何か金目(かねめ)のものを買うときには、なるべく割引の日にしようと日ごろから思い定めている。衣類二点と靴をまとめて買うのはそういうこともあった。安売り値引きの日ということもあってか、レジのところには何人か並んでいて、ちょっと待ちくたびれた。自分の順番が近づいたとき、財布からカードを取り出そうとしたが、カードが見当たらない。ええ? 財布にしまわないでポケットに入れたのだったか? あわててポケットをさぐった。何度探してみてもそのカードがみつからない。今さらやめるのもという気がして、まあいいか、割引などなくてもそれほど大したことではない、と、ついそのまま割引なしでレジを通った。何ということか。
 買った品物をいったん車のなかに置いてこようと、エスカレーターで三階駐車場にあがった。そこでもう一度財布を調べてみると、カードがあった。何ということか。

 一階の食品売り場で買いものをする必要があった。退職後はもっぱら自分が家族の夕食を準備する役割を引き受けてきたから、市内にあるいくつかのスーパーのどこかで、食料品などを買うのは毎日の日課になっていた。
 妻は仕事でずっと忙しく、自分より六年後に定年退職をむかえたあとも、また新たに忙しい仕事を引き受けて、日々動き回って苦しんだり悩んだりしているようすだ。彼女はそういうことをやめられない性分で、毎日忙しくしている。家にいるときには、言葉を発するのも億劫という感じで愛想もなくそっけない様子、ぐったりした感じを見せていることが多い。それでも疲れを知らないかのように台所のノートパソコンに向かっていることも多い。パソコンで仕事関係やボランティア活動の仕事をしたり、最近ではインターネットのタイピングソフトに凝っていて、キン、キン、キン……と電子音を鳴らしながら、キーボード入力(ブラインドタッチ)の精度向上に取り組んでいる。自分のようにテレビをかけたまま終始寝転びっぱなしなどということはないようだ。
 彼女はもともとアルコールは飲めない方で、日頃から当方の飲酒に対しては認知症が進行すると厳しく迫るところがあった。そんなある夜ふと台所に行くと、憂鬱そうな姿勢で缶ビールをちびりちびり飲んでいる彼女を目撃したりすることがあった。大丈夫なんだろうか、無理しすぎて倒れたりするのではないだろうか、そうなったらわが家は大変なことになる、と当方は常々心配しているのであるが、そういうことはもちろん口に出してはいわない。
 意識してとてもゆったりとした歩調を保ちながらスーパーの食料品売り場へ向かうときも、足元のふらつきを感じていた。どうも最近は街を歩くときなどに足がしっかりしない気がする。橫にふらつくような頼りなさがあり、頭の方も何となくふらふらする気がする。
 当然のことながら年齢に応じた身体の衰えはある、とはいつも思うところ。自分の年齢になったらそういうことがあっても何らおかしくはないという自覚はある。以前から、体力はもちろん、ものを視る力もずいぶん弱くなっている、耳も片方が聞こえにくくなった、と実感するところ。手の皮膚や爪がちょっとしたことで損傷する。身体に常に不具合感や疲労感がある。もっとも、身体の不具合感や疲労感の方は、今に始まったものではない、若いころからもよくあったのではなかったか……
 高齢になって、脳や心臓、胃や腸がどうなっているか心配でないこともない。若い頃には虫喰いもないといわれた自慢の歯も今はボロボロになった。それも幸い歯医者さんのおかげで何とか不自由しないでいられる。若いころからの持病が今も続いているのはやむをえないだろう。免疫力が落ちていつ致命的な病気にやられるかわからないが、それは考えても仕方ないことだ。老いのことをあれこれ愁えても、それで事態がよくなるわけではない。そういうものは逆らいようもなく自然に進行するもので、そのまま受け入れてそれに従うだけのこと。最近は、自分よりずっと若い人でもあちらでこちらでぽつりぽつりと歯が欠けるように亡くなっていく。けれども今のところ自分はまだ曲がりなりに無事でいる。なにがしかの力が自分の中に残っている。まだ何かができると感じている。ありがたいことではないだろうか。いずれそのうちその感じも失われることになるのだろうが、そのことを恐れていても始まらない。それよりも、まだ自分に残された時間と力があるうちに、それをできるだけ享受し、したいこと、しなければならないことをやらなければ、と思うのである。

 もっとも〝そんなことを繰り返し思う割り〟には〝毎日信じられないほど何もしないで暮らしている自分〟がここにいる。そんな自分を目の前に見ては、今さらのように改めて驚きを感じるばかりである。
 今朝もパソコン内を検索していたら偶然、

「あなたはまるで一日百二十四時間あるような生き方をしている!」

 という一文が引っかかってきた。
 よく覚えている。アーノルド・ベネットの本で『自分の時間』とかいう題名だった。渡辺昇一訳で、もうずいぶん以前に読んだとき、大切な言葉として肝に銘じておこう、と抜き書きしておいたものだった。こんな貴重な宝物ともいうべき言葉が、長いあいだパソコンの中に隠れたままになっていたことに驚くのである。
 パソコンの中の〝闇の金庫〟には、他にも肝に銘じたいたくさんの貴重な言葉が、忘れられたままに眠っている。

 頭がぼーっとした感じになっていて、とてもゆっくりと歩いた。前方に見えてくる人の顔やありさまを、相手からわからないようなさりげない仕方で、相手に気づかれる心配がないことを確かめながら、一人一人を意識して見るようにするのだ。あまり真っ直ぐにそちらに顔を向けるのはためらわれる。ちょっと横の方に顔を向けたり下を向いたりしながら、何気ない感じで視線を前に向けて〈見る〉のだ。たいてい相手は平気な顔で通りすぎ、見られていると意識する感じはなかった。
 いつもなら、行きかう人の方をなるべく見ないようにしている自分を見出すのである。本来自分と関係のない人たちを意識して見ることはひどくためらわれることだし、通常は無関心で〈見ないで〉過ぎていくのが自分の日常の在り方だ。人だけでではなく、周囲のモノについても、通常自分は驚くほど何も見ないまま過ぎていくことに気づくのである。
 もちろん自然といろいろな事象が目に入ってはくるのだが、なるべく見るのを避けている。別に見たいとも思わないし、見ても何か面白いことがあるわけでもない、たいていは見なくてもわかりきっている、というような感じである。
 今日は不思議なことだが心が開いている。というか、どの人もどの人も心に入ってくるのだ。それは別の言い方をすれば、それぞれの人の中へ入り込む感じでもある。入り込むといっても、実際にその人の内面がわかるわけではないし、わかったという気がするのでもない。人々の姿、形、服装、動き、たたずまいがそれぞれみな違っていて、みなそれぞれに特徴があって、それがそのまま〈おもしろい〉〈興味深い〉〈親しみがもてる〉と感じられる。何故かしら心に懐かしく触れるという気がするのだ。
 それぞれの人の存在のメロディーが、自分の心の中で感じられる、といったらいいだろうか。それぞれの人に乗り移るような感じ。呑みこむ、あるいは呑みこまれる、といったらいいのだろうか。その人になって、その人の中に入って、生きようとする、そんな感じかもしれない。いや、いや、生きようとするまでにはいかないが、その発端、かすかな前触れのようなもの。
 一階食品フロアでいくつかの品物を買ったあと、三階の駐車場へ戻るためにエスカレーターの方へ向かう。
 一階フロアの特別展示スペースは準備中だった。展示棚に使う木製の構造物(椅子でもない、机でもない、枠組みのようなもの)がズラリと床に積まれてあった。あちらこちらで、店員か設営業者か作業員なのかよくわからないが、人々が準備作業をしていた。ぼんやりとした状態でゆっくりと人の姿などを次々と目にしながら、その一角を通りかかったとき、男性と女性の二人組が目についた。男性は背広にネクタイ。女性は店員の制服姿だった。男性が小走りに走って展示場の部分を指さしながら何か言うと、女性がそれを聞いて近くへ走り寄って、何か答えている。その走りより方、答え方がちょっと大ぎょうで、「そこまで敏感に反応しなくても」といいたくなるほどの印象があっておかしい。
 ゆっくりゆっくり。……
「ゆっくりでいいのだ」と意識して歩きながら、夢想するように人の姿を目に入れていくと、たしかに〈入り込める〉(入り込んでくる)のである。出会う人みんなについて、そういうことが起こった。それを言葉でいうことはむずかしい。いや、言葉でいうまえに、それが何なのかを理解することもできていないのだ。今すぐに具体的な言葉で定着できるものは何もないけれども、こういうことをずっと続けていけば思わぬ境地が開けてくるかもしれないという気がする。
 思いきりぼんやりゆっくりと、半ばは意識的に放心したような感じを保ちながら、再びエスカレーターで三階へ昇っていく。三階駐車場フロアに着いて、車の方へ歩きだそうとしたとき、ふと思いだした。たしかさっき二階フロアで衣類などを買ったものをいったん車に置いてこようと三階に上ったとき、次は一階で買い物をするのだからと、車を一階駐車場まで降ろしたのではなかったか。そうだった。呆(ほう)けている……
 そう思い出してすぐさま下りのエスカレーターの方へ戻った。〈ぼんやりとゆっくりと〉を意識しながら、目に入ってくる人に意識を向けつつ一階まで降りていった。
 再び一階展示スペースを通るとき、先ほどの男女二人組がまだ作業を続けていた。男性が小走りに走って、手で身振りしながら「ここが出すぎているんですよ!」というのが聞こえた。女性は同じように小走りに走ってついていき、「ここが出過ぎているんですね!」といった。
 そのコーナーを通り抜けて屋外の一階駐車場へ出て車を探し始めた。けれども、適当に歩いて回りながら、どこに車を置いたのだったか、置いた場所の記憶がない。あ、やっぱり三階だった、とそのときまた急に思い当たった。たしかに一階へ車を動かそうと考えた記憶はあるが、実際は動かさなかったのだ、そうしようと思っただけで、そうせずにやめたのだった、たしか……という考えが起こって、また三階駐車場へ向かう。
 三階駐車場に着くと、あるはずの場所に車がなかった。
 えええ???……それじゃあいったいどこに置いたというのだろうか???
 先ほど確かにあったこの場所にそれがないということは、やっぱり一階まで移動したのにちがいない。もう一度一階駐車場へもどる。
 再び一階駐車場に着いて、どこに車を置いたのか頭の中をしきりに手探りしながら、ここまでくるとさすがに余裕を失いつつあせって歩いていく。するとようやくのこと、かすかな記憶の破片が頭で閃いた。
 そう、〝遠い場所でもいい、運動にもなる〟と思いながら駐車場の端の方に車を停めたのだった!
 ということはあそこだ!……

 頭も身体もフラフラ。どうも疲れた。お茶でもしながら、最近買って読み始めたばかりの新書本の続きを読もうかと、スーパーマーケット一階のカフェ・レストランに入った。
 昔から喫茶店でコーヒーを飲みながら本や雑誌を読む時間が一つの至福だった。ちょっとした贅沢。……




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# by mozar | 2017-12-27 19:50 | 小説作品 | Comments(0)

鏡に映る景色いろいろ(1)


   1

「ええっと?」
 私は台所のテーブルのところへ来てから立ち止まる。
「ええっ? いま何をしようとしてここへきたのだったか? 買いものに出かけようと考えたのだったかな? ええっと?……そう、たしか?……ええ?……」
「買いものに?」と私はほとんど声に出して言い、室内を歩いて自分の記憶の中をしきりにのぞき込もうとする。
「なにを買うのだったかな? ええ? なあ~にを買うんだったかな? たしかさっき……う~ん……」
 それを思い出すために、もといた部屋にもどっていく。
「たしか、先ほどまで応接間でパソコンに向かっていた。まあこのへんでやめて買いものにでもいこうかと思って、台所へ向かったのだったか? はて?……」
 出かけようか、どうしようか、出かけるにしても何を買えばいいんだ、と思いさ迷っているところへ、電話の呼び出し音が鳴り響いた。メロディーはショパンのワルツ。どうせまた何かの商品の勧誘だろうか?……急いで小走りに台所へもどって受話器をとる。……
 耳に飛び込んできたのは妻の声だった。
「フミヤらと今ぶどう狩りにきてるけど、これから○○遊園地に行って、夕食は回転寿司にする予定。いっしょに食事する?」
「うん? あ、そうやね……何時ころに行けばいい?」
「夕方五時ころ○○店へ行くからその時刻に来たら?」
「うん、わかった。そうする」
 以前は孫たちがくると、〝おじいちゃん〟もいっしょにぶどう狩りやいちご狩りに同行したり、遊園地やスーパーマーケットなどに出かけたり……そんな一時期があった。
 このごろはおじいちゃんはいっしょにいても仕方ないと思われているのだろうか、お誘いがかからなくなった。おじいちゃんの方でもその方がありがたいと思うところがないでもない。
 高松市に住む長男のフミヤ、嫁のアヤカさん、その子どものヒロト君とスミト君、そして大阪に住む長女のハルミは、娘のキララちゃんとその弟のヒデキ君を連れてくる。以上の顔ぶれに〝おばあちゃん〟が加わって、いつものメンバーが完成する。
 我が家へきたときいつもキララちゃんはまず猫のマーマちゃんのことを気にしていうのだ。
「マーマちゃんはどこ? マーマちゃんはどこにいるの?」
 キララちゃんは目がくりくりして丸いという印象があって、なかなか面白い子だ。ご要望のとおり猫のマーマちゃんを連れてきてあげると、彼女は怖がってしりごみしながらも興味をおさえられない様子である。彼女とほぼ同い年のいとこのヒロト君はというと、終始ネコが煩わしくて怖いらしく、興味も関心も見せないまままったく近づかない。面白半分に猫を近づけてやると逃げまわる感じである。その弟のスミト君はというと、反対にとても猫に興味を感じるらしく、怖がりもしないで平気で近づくし、手で触っては喜んでキャッキャッと声をあげて笑うのだ。
 わが家の猫のマーマちゃんは、一般普通の猫らしく神経質で、慣れない人に対しては人見知りする性格があって、よその人が来ると落ち着かず、いつも隠れて逃げ出そうとする。猫が逃げ出していなくなると、小さなスミト君は、
「マーマちゃんどこ? ねえ、マーマちゃんはいないの?」
 と大人に訴えながら探しに行くのだ。
 そのことはキララちゃんも同様なのだが、彼女の場合は、まだ猫に興味を引かれながら怖がって逃げようとするところがあるのだからおかしい。
 子どもたちはいっしょに遊べることがとても楽しそうで、ボールペンや色鉛筆で紙に絵を描いたり、部屋から部屋へと走り回ったり、仏壇の横の床(とこ)の間に並んで立って、マイクをもったつもりになったりしている。
 前回来たときは、家でおばあちゃんが作った昼食をみんなで食べてから、午後、おばちゃんが何処からか借りてきた餅つき機で餅をつき、それからみんなで握った餅をもって裏山の先山(せんざん)に登ったのだった。といっても車で行って、山頂にあるお寺(千光寺)の階段を二つ登ったというわけ。二つといっても、けっこうハードな階段ではある。
 二つの階段の下に茶屋があって、茶屋の手前の駐車場のところに、片側が谷になっていて急斜面が見下ろせる場所がある。斜面ははるか下の方まで続いていて、大小いろんな木々が斜めになったりしながら生えている。
「ほら、見てみい、すごいガケやでぇ」
 おじいちゃんが一番年長のヒロト君にそれを見せようとすると、ヒロト君は怖がって決して近寄ろうとはしない。
 安全のために簡易な手すりが設けられてあって、父親が冗談半分にその手すりから上半身を乗り出すようにしてみせると、ヒロト君は必死な様相で、
「ダメ! 近寄ったらダメ!」と叫ぶのだった。


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# by mozar | 2017-12-19 23:28 | 小説作品 | Comments(0)

ふるさとの近景―雲が面白くて―


 子どものころから、さまざまな機会に雲に見入ることがよくあった。
 偶然見た雲がそれぞれ、心が形作るいろんな不思議な絵模様をみせてくれて、見飽きないものだった。
 通常雲などには目もくれないでいるだけに、あるとき見るととても不可思議な存在にも思われてくるのだ。こんなものが日々の暮らしの近辺にあったのかと。
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# by mozar | 2017-12-06 23:44 | 田舎の風景、写真 | Comments(0)

創刊のころのころ

 『文芸淡路』は一九九六年十二月に第22号が出た後、長いあいだ休刊状態になっていた。私は北原文雄さんにお誘いをいただいて、第3号から参加して以後第22号まで毎号曲がりなりに作品を出してきた。そうすることができたのは原稿の「締めきり」があったからにちがいない。
 第16号から第22号までは北原洋一郎さんが編集役を務めてくれた。第22号のあと、第23号の発行が遅れ、そこへ一九九八年一月に北原文雄さんの邸宅が火災で焼失するということがあった。順調に続いてきた「文芸淡路」はここにいたって終末を迎えたのだった。
 長い中断があったあと、二〇〇五年一月に北原文雄さんから作品集『葬送』が送られてきた。それに応えて送った感想文のコピーがパソコン内日記に残っていた。
《作品集『葬送』お送りくださりありがとうございます。収録された七つの作品、どれも面白く興味深く読めました。
 やってきては去っていく日常の事柄が、心という多面鏡によってどのように反射されて形ある像を作っていくか、それが目に見えるようです。日常生活のなかで〝心の鏡〟が映し出した像はそれだけでは消えて失われてしまいます。それを材料に〝形ある文章を創るという営み〟が積み重なってこれだけのものが残っていくのだなあという感慨です。
 なかでも最後の「葬送」は力作だと思いました。著名な陶芸家の血を引く妙(たえ)と片桐という、屈折した複雑な心をもつ母親と息子の存在が、作品に独特の陰影を与えていると感じました。》
 パソコン内の日記を検索していると、その後、一年余り経った二〇〇六年六月十二日付けの記事がひっかかってきた。
《朝方十一時前、電話が鳴って受話器を取ると北原文雄さん。何の説明もなく、
「一度会いたい、いつ会えるか……」
 え? いったい何?……もしかしたら同人誌の話か……。
 その日の午後一時半に喫茶〝珈楽粋〟(クラシック)で会うことにした。
 時刻通りに行くと、ちょうど彼の車も到着したところ。会釈を交わし店に入る。
 北原さんはあれこれ〝近況〟を話してくれ、それは目下行き詰っている自分にとっても少なからず刺激的であった。彼は三月にようやく退職し、再就職をすすめられたが断って〝自由の身になった〟という。退職前後のことをあれこれ語ってくれた。
 退職前の数か月、彼はあちらこちらで引き受けた原稿に追われて忙しかった。折しも〝退職記念旅行〟なども重なって、締めきりが危ない状況に陥りながらも何とかかろうじてクリアしたという。
 退職を機に四月から桜前線を追って七週間の旅をした。旅行から帰った後、今は書斎の片付け整理に専念していて、その作業に後数か月はかかりそうだとのこと。
 退職後のライフワークとして、彼はあれこれ迷わずに、江戸時代(天明期)に淡路島で起こった百姓一揆〝縄騒動〟を材料に小説を書きたい、今はそのことにすべてを捧げたいと思う、と熱く語った。資料もいろいろ集めている。四国などの大学の郷土史に詳しい先生などを訪ねて話を聞く機会をもつようにもしている、と。
 そのあとようやく本題に入った。
 退職して時間がとれるようになったので、同人誌活動を再開したい。『文芸淡路』元同人たちにも声をかけてある、と。
 一時間半ほど話して喫茶店を出た。》
 その後新しいメンバーで何度か同人誌の準備会を開いて、二〇〇七年四月に『淡路島文学』の創刊号が出た。十か月に一号の原則で順調に号を重ねて、昨年八月に第12号が出た。その直後に北原さんの訃報。くも膜下出血。ええ~? そんな!……唖然。……
 北原さんはたしか二〇一二年四月から地元の町内会長をしていて、併せて地区の連合会長も務めていた。その後すぐ近くの町内会で会長役が私にも回ってきたとき、北原さんはちょうど二年の任期を終えて町内会活動から解放されるはずだった。これで書くことに専念できる、という思いだろうと私は推察し、彼にねぎらいの言葉を言ったりもした。その後私がはじめて地区連合の会合に出席したとき、意外にも北原さんは後任者がいなくてもう一期二年やることになったという。さらにその二年後にも事情があってあと一年、地区会長役を続けることになり、自動的に市連合の副会長役も引き継いだ。他方彼は淡路文化協会の会長も務めていて、その春先はちょうど文化協会創立四〇周年記念行事も重なって多忙を極める様子だった。彼は事務的な面でもとても有能で几帳面な性分で何事も準備万端整えて当たるところがあった。いくらでもできる人だったから、つい無理が重なったかもしれないとも思うのだ。
 何かのときに彼に言ったことがある。
「ぼくは締め切りがなければ何も書けない。書く材料も決まらないままいよいよもうダメというところまできてから俄然書けはじめる」
 彼は笑った。
「北原さんはいつでもいくらでも書けると言っていたけれど」
「書くことへと自分を追い込んでいく」と彼は答えた。
〝追い込んでいく〟か、なるほど。その後締め切りが近づくといつもこの言葉を思い出している。
 小説「秋彼岸」にこんな一節があった。
「このままでは死ねないよ」と〝妻〟に言われたときの〝庄一〟の心のうちが描写されている。
《――だから、もうすこし長生きするよ――とは、庄一は言えなかった。
 いつお迎えがきても当たり前の年齢になっているというおもいがあった。いままで元気に生きてこられたのが不思議なくらいだった。死ねないよと言われても、やがて死んじゃうよ、もう近いよ。だが、浮き世にはしがらみがあって、やらなくてはならないことがいっぱいあって、苦しいのはこっちのほうだ。庄一は、妻にこんなことは言えなかった。》
 彼自身にも十分にわかっていたのだ。


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# by mozar | 2017-11-29 23:37 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

「淡路島文学」13号 編集後記

『淡路島文学』13号 北原文雄追悼特集号

 編集はもっぱら自分がおこなったので、編集後記も自分が書いた。

 編集後記
▼『淡路島文学』第10号記念号(2014年)の「編集後記」に北原文雄さんは書いた。《淡路島のなかで一冊の文芸同人誌がほしいということで、同人を募って27歳のとき『文芸淡路』を創刊して、22号を発行して終わった。あらためて七年前に、『淡路島文学』を創刊した。無理をしないで発行しようということで、創刊以来、10か月ごとに発行をつづけてきて、第10号記念号の発行となった。まずは予定どおりであったが、あと七年つづけて20号までいけるかどうかとなると、先行き不透明である。》
▼その2年後(2016年)、第12号を出した直後に、北原さんは急逝した。『淡路島文学』は北原さんの熱意と牽引力によってここまで続いてきた。わたしたちはここに〝場所〟を見出し、締めきりを目指して書き、なにがしかの〝書いたもの〟を残すことができたのだった。
▼会の運営・雑誌発行などの事務を一手に引き受けてくれた牽引者を失って、今後どうするか。北原さんに代わってだれが牽引役を引き受けるのか。このところ若い人たちも加入したことだから、書く場所を確保・提供するためにもとにかく続けてみようということになり、ここに第13号北原文雄追悼特集号を出すことができる運びとなったことをまずは喜びとしたい。
▼生前故人と親交・面識のあった方々に追悼エッセイをお願いしたところ多数(30件)の原稿が届きました。ありがとうございました。寄せられたメッセージはきっと故人にも届くことでしょう。
▼今号は11人の同人の文章を掲載することができた。創刊から10年あまり、当初の主要な書き手が何人も去りながら、入れ替わって新しく加入した人たちがあって、今も一定の作品が集まっている。作品が集まるかぎり本誌は続けられるのではないか。とりあえずは肩ひじ張ることなく、自然体で続けてみようと思うところ。
▼本誌創刊以来の同人であった北原洋一郎さんが昨年亡くなった。洋一郎さんは『文芸淡路』以来の会員で、淡路で名を知られた歌人や俳人の伝記などにも深く関心を寄せてこられたようで、「川端千枝伝ノート」(『文芸淡路』)、「髙田蝶衣十話」「続十話」(『潮騒』)など、貴重な記録を記し留められた。『淡路島文学』では5号に「曇り のち……」という、彼としては珍しく〝小説風〟の作品を書いて合評会で好評を得たが、それを最後に作品を出されなくなった。ご冥福をお祈りします。


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# by mozar | 2017-11-25 02:16 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

『淡路島文学』第13号 10月20日発行

 10月19日に印刷所から電話があって、雑誌『淡路島文学』第13号が刷り上がったと。
 さっそく受け取りにいった。
 北原文雄追悼特集号というだけに、226ページと分厚くて、これまでの最高ページ数。
 通常の同人だけの作品のページ数は145ページ。前号(第12号)の152ページよりも薄くなる。
 今回高齢で入院手術を受けたり諸種の事情で書けなかった同人もあった。
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# by mozar | 2017-11-11 21:59 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

淡路島文学第13号(北原文雄追悼特集号)編集作業終了

 9月末にようやく第2校修正版を印刷所に持ち込む。
 発行日は10月20日。後は本ができあがってくるのを待つだけ。

 経費を最小限にするために、持ち込み原稿はパソコンファイル(一太郎形式)一つ。
 220ページ余りの本を一つのファイルにするには、けっこう気を遣う。
 大切な作品にとんでもない間違いが生じたら、筆者に申し訳ないという思いがあるのだ。
 同人の原稿は電子ファイルで届き、校正も同人自身が行うので、間違いがあったら、自己責任とすることができる。
 今回は、同人以外の外部原稿が30件届いている。生前故人と関わりのあった人たちに追悼原稿(エッセイ)を依頼したのだ。それについては、手書きかワープロ打ちの原稿が届き、それを編集者(自分)がパソコンに打ち込む作業が必要である。ワープロ打ち原稿は、手間を省くためにスキャナで読み込んで、OCR処理して文字情報に変換する。最近はOCR処理がずいぶん正確になっているものの、とんでもない誤読が生じる。「ヨーロッパ」が「ヨーロッハ」になったり、「ちょっと」が「ちょつと」になったり、「訃報」が「計報」になったり。
 その誤りをを全部発見して訂正するのはなかなかである。何度か見直してもまだ新たなミスが発見されることよくある。
 原稿を寄せていただいた人はみな日頃から各々の社会で「文章で生きてきた」人たちなので、それ相応の敬意を払う必要があると感じるのだ。
 しかし、できるかぎり気をつけるにしても限りがある。今は「えいや」とばかりに見限って、間違いがあればごめんなさいと覚悟するしかない。
 9月末に最終校を終えて、今は雑誌現品が到着するのを待つだけである。
 今苦慮しているのは、配本の仕方である。同人への配本もあるが、これまで北原さんは、報道関係や同人誌批評サイト関係や、全国各地の同人誌発行者など、かなりの数を贈呈してきていたようで、その送本作業をどうするか、またその送付文をどうするかという問題。
 当面、決めなければならないのはそのことである。自分一人の独断で行えるのならそれも楽だが、共同編集人となっている松下氏、発行人の三根先生の意向も無視できないだろう。
 発行まであと1週間あまりあるから、そのことをどうするか考えることだ。



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# by mozar | 2017-10-09 21:36 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

『淡路島文学』第13号の編集作業

 昨年(2016年)8月25日にわれらの同人誌『淡路島文学』第12号発行。
 発行後まもなく(9月14日に)北原氏の急逝の報せが同人の1人から電話であった。くも膜下出血……唖然……
 北原氏は、長年勤めた県立高校教職を退職したのを機に本誌を立ち上げて、創刊以来ずっと編集発行作業を牽引してきた。
 記憶がはっきりしないが、この報せを聞いた前日だったか、実は、洲本の街中を車で通りながら、街路に北原さん(あるいはよく似た人?)を見かけ、あれ? 北原さんではないか? 別人かも知れないけれども、よく似ているな、と思いながら、追い越していった。
 洲本のイオン店から弁天さんのほうへ通じる道の途中で、車で通りすぎながら、その道を歩いて弁天さん(厳島神社)のほうへ向かう男性を見かけた。北原さんに似ているな、いや彼その人ではないか、と自分は何となく思った。最近は町内会関係の諸役があって、いろいろ大変なことは見ていたことだし、非常に几帳面な人だったが、多忙のなかでかなり麻痺しているところもあると見受けられるところがあった。この日たまたま見かけたこの人物も、たしかに北原さんに酷似していたけれども、ひどく弱っているような印象を受けた。
 記憶ではたしかメガネをかけていて(彼は通常メガネをかけなかったと記憶するが)、最近はメガネをカケルこともあったようなのだ(本当?)。
 北原さんの訃報を聞いたのはそんなことがあって間もなくだった。
 
 同人の1人、北原さんと同じ町内に住む同人誌のメンバーのU※※さんから電話がかかってきた。
 自分にとっては、北原さんは文芸同人雑誌の同人である前に、地域の町内会の地区連合仕切り役だった。彼はそちらのほうで、重要な役を引き受けていて、彼が欠けたなら、町内会地区連合の後継者を選ばなければならない。その役が当方に回ってくる可能性がある。それはできる限りさけたい……結局それは避けられたのだったが……

 10年間、10か月に1冊のペースで順調に発行されてきた。

 この同人誌発行を牽引してくれたのが北原文雄氏で、彼は2006年、多忙を極める県立高校の教師を退職してから、地元淡路島で、ぜひ同人誌活動を再開したいと、「書きたいと思っている仲間」を集って、『淡路島文学』創刊にこぎつけたのだった。

 (こう記すうちに、午前4時になってしまった。もう寝ないとまずい。明朝は人がくることになっている。とりあえず、仮「掲上」しておこう。そのうちまた適当な形に書き換えることができるはず。)
 




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# by mozar | 2017-09-24 04:10 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)

肩肘張らず「気軽に」発信しようという考えに

 実のところ、4月から町内会長役から自由になって、気楽になれるはずだった。
 町内会長役をT氏が引き受けてくれるという提案を受けて(まさに取引き)、「渡りに船」とばかりに、寺総代という役を受けたのだった。
 というのもそのとき、T氏のもとに寺総代役が持ち込まれていて、T氏は町内会長も経験しない身では、と固持していた。それで彼から自分のほうへ、町内会長を引き受けるから、寺総代を引き受けてくれないかと打診があった。それに当方は、町内会長を退けるならと喜んでと、乗った。
 その寺総代役が、本年になって、自分にとってとんでもない重荷として被さっている。
 いろいろ騒動があった後、住職が意欲的な若い人に代わって、高野山への参拝行事などをはじめた。それには一定の数の参加者を集める必要がある。
 上内膳は3町からなり、里からは参加者が4人しかなかった。尾筋、大森谷はそれぞれ12人以上集めたようだ。自分にはとてもそれ以上集める事が出来ない……若い住職にそのことを申し訳ないと報告する。
 この行事は毎年計画すると住職が宣言している。
 来年はもっと参加者の確保が困難になり、里は今年よりも少なくなる可能性がある。
 それを思うと、不安と苦しみが高まるばかり。





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# by mozar | 2017-09-14 23:54 | 同人雑誌発行のこと | Comments(0)